信仰のもがき

人は成長すると、次のステージが待っている


最近私に与えてくださったひとつひとつを振り返ってみました。
そして気が付きました。

私にはいろんな顔があり、いろんな特技があり、いろんな才能がある。

今までは「これだけが私の個性だ。才能だ」と思っていましたが、
今ではいや、これも私が持っているものなんだ」「そうか、これもなんだ」と気づけるようになりました。

すごく典型的に話すならば、「私はドラムや打楽器をやっているときが嬉しいし、そういう舞台にも憧れる。見るとやりたくなる!」という感じでした。でも、最近はそうは思いません。だからと言ってそれが自分の持っているものではなくなったわけではありません。それも持っているけれども、今は「これ」もできる。今はこれが一番ぴったりだ!と思うものが見つかったのです。

その時々によって、与えられるステージが変わるのだなと思いました。

成長に応じて、行うことが変わるんだと分かりました。

世の中の仕事もそうですよね。成長に応じて任せるものも変わりますし、立場も変わったりします。
信仰もそのようです。今はコレが一番!と思っていても、また成長するとそれに応じたものを神様が与えてくださる。

だから自分に対して視野を狭くしたり、これだけと固定してしまうと、もっと自分が持っているものがあるのに、気がつけないまま機会を逃してしまうこともあります。また神様が与えようと思っていても、浅く考えて見て、得ることができなくなることもあります。
視野は広く持ってこそ、その次が見えます。他の可能性に気がつくこともできます。サッカーも自分が持っているボールも見るけれど、顔を上げて見た時に、新しいパスコースも見えるし、新たに繋げることもできる。そうしてこそボールも生きるし、自分も生きます。そしてさらに向かうべきゴールの位置も見えてきます。

自分に対しても可能性を広げて見てあげたら、さらに新しいものを得るきっかけを掴むことができます。成長に応じて見つけるようになります。自分にはこれもあるし、あれもある。鷲が「自分には鋭い爪もあるし、鉄のような翼もある」そう気がつくように。

そうした連続の果てに、本当に自分という存在が完全に、もっと素敵になって見えるのだろうなあと思いました。

麦わらさんも、今は<今>取り組むべきことに向き合うけれども、「これだけだ」と固定しないで、
広く大きな可能性を抱いて、続けてひとつひとつ成長を重ねて行きたいと思います^^

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]