よく御言葉の中に「考えを神様に委ねなさい」と出てくるのですが、私は結構漠然としていました^^;
委ねるというけれども、目に見えて「はい、どうぞ」と渡せるものでもないですからね…
でも、今日自然と出たお祈りがあります。
「神様、どうやったら考えを全て委ねられるのでしょうか?イエス様が亡くなられてから、殉教の歴史が長く続きましたが、その人達は死を前にしながらも信仰を守りました。死を前にしながらもすべてを天に委ねました。先生もあのような状況の中で、心配不安悩みをすべて神様に委ねています。私はなかなか委ねられていません」
仕事で起こる様々な出来事に四苦八苦する自分が、その時どんなことを考えているのかというと、「何をしたらいいんだろう」とか「こうなったらどうしよう」とか思い浮かぶままに考えてしまっていることに気が付きました。
そうか、これが委ねられていないことなんだな、と祈りながら分かりました。
「あなたは心配事や自分がしなければならないこと、直面している問題や全てのことを考える前に、神様を考えなさい」(摂理の御言葉より)
考えを委ねるということは、自分の考えを一旦置くこと、そして聖三位と主を考えることなのだと分かりました。
御言葉を考えることも同じです。
ある場面に立った時、【自分はどんな考え】をしているのか。
その考えは【どこから】来ているのか・・・
よく分析してみると、あ、これは自分だ、と分かるんですよね^^;
たいていネガティブなこと、不平不満は自分の考えです^^;笑
天に考えを合わせると不思議と心配も不安もなくなります。
神経を天にいつも敏感になって、考え方の革命を起こしていきたいです〜!