今日はお祈りする時、普段祈っているように祈るのは嫌だなと思いました。
そして、ふうっと深呼吸をして、語りかけるように祈りはじめました。
「今日はちょっと、ほんとうのところを話したいです」
心がコロコロ変わること
私は人間が好きですが、怖くもあります。
なぜなら、すぐに変わってしまうからです。
心について考えると真っ先に浮かぶ聖句があります。
11:7彼らが帰ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、
「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。」(マタイによる福音書11章7節)
1:6風は南に吹き、また転じて、北に向かい、
めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。(伝道の書1章6節)
心はまるで風のようにあっちへ行ったり、こっちへ行ったりします。
また、葦のようにあっちへ揺れたり、こっちへ揺れたりします。
鄭明析(チョンミョンソク)先生も人間の心についてこのように話しました。
人間の心はころころ変わります。一日にも数十回、あるいは数百回も心がよく変わります。
だから自分も<自分>を信じることができないし、<自分の考え>も信じることができません。不安定です。(主日の御言葉「自分の好み」より)
人間の心は不安定ですよね。興奮してわあ!となったと思ったら、ずーんと沈んでいたり、
子どもを見るとそんな感じですよね。大人になるほど少しずつ落ち着いてきますが、それでも心は見た通り聞いた通りにコロコロ変わります。
だから私も不安でよく祈ります。ああ、あの子が悪い方向に心が傾いてしまわないだろか・・・
そんな気持ちで祈ることがあります。
ところでその話を聖霊様に話してみました。
「聖霊様、私が怖いのは人の心です。悪い方向に心が傾いてしまうのではないかと思って不安で心配です」
そのとき私に浮かんできた言葉がありました。
「悪く傾く人もいるが、良く傾く人もいるではないか。良く変わる可能性が1%でもある方に、聖三位と主は期待を懸けて希望で投資した。悪い方向にばかり考えるな。良く変わる人も多い」
(´;ω;`)
それで麦わらさん、とても希望を感じました。
祈る時、どうしても悪い方向にばかり考えて、なんとか食らいつくように祈ることもあるのですが、この言葉が浮かんでからは、
「ちがう、祈ることは希望なんだ」と思うようになりました。
最悪の状況、最悪の場面
こういうことばかり考えてしまうと、習慣になって何かの度に胸をドキドキさせないといけません。
さらに悪くなると心配性になり、神経症に発展して、パニック症になることもあります。
悪い方向にばかり考えるな。良く変わる人も多い。
悪くなることもあるかもしれません。でも良く変わることもあります。
神様はいつもどんなに劣勢だとしても良い方向になるように考えて実行しました。
神様はいつも良い方向に働きかけます。
私が好きな讃美「白い花」にこういう歌詞があります。
主はその愛で 私を育て期待された
失望より喜びになります
手をとってください
私が御言葉を聞いて間もなかった頃、讃美はそんなに好きではありませんでしたが、
この歌詞だけはいつも心に響きました。
私がどんなに弱くて情けなくても、主は私に期待をかけてくださるのだな
それも、失望よりも喜んでくださるなんて・・・
本当に嬉しかったんです。
だから私は行う力を得ました。
ずっと自信がなくて行えなかったことも、やってみよう!そういう心を持てるようになりました。
神様は本当に良く人間の心をご存知です。
弱い心に生気を吹き込んで、大胆に行うようにさせます。
私ももし、誰かが自信がなくて辛くて、情けなくて死にそうな人がいたとしても
最後まで希望をかけて祈り、「大丈夫、できるよ」と言える存在になりたいです。