ミコトバ

「神様の愛、今何%満ちていますか?」摂理の愛を考察する


私は摂理に来て5年目になりましたが、
ここ最近になってこう振り返るようになりました。

摂理来たての頃
HP「神様の愛:ー10%」

摂理に来て1年目
HP「神様の愛:30%」

摂理に来て3年目
HP「神様の愛:54%」

摂理に来て4年目
HP「神様の愛:70%」

摂理に来て5年目
HP「神様の愛:100%」

おお!5年目にしてようやく100%!!オメデトウ!(※100は最大ではありません)

この年数は人によって異なります。
同じ摂理メンバーと括られても、家庭環境によって、これまでの考え方によっては、早い段階で200%に至る人もいますし
10年経ってもなかなか100%に満ちない人もいます。

早さが問題ではない

神様の愛をどかーんと感じる人、たくさんいます。私もど、どど、、どどどど、どかーん!くらいな感じでした。
最初は分かりませんでしたし、神様の愛を悟るまでには時間がかかります。
はてまた、いきなりどかーん!と爆発しても、その後急に冷えきってしまう人もたくさんいます。
また一発目のどかーんで HP「神様の愛:ー10%」→ HP「神様の愛:30%」という方もいらっしゃいます。
私は完全に神様の愛を悟った!と思ったとしても、実は完全ではないようなことがたくさんあります。

愛に確信を持てるほど、信仰に揺らぎがないし、年齢を重ねても幼子のようで、行いに火を感じられます。

ちなみに鄭明析(チョンミョンソク)先生はですね
HP「神様の愛:1000000000000000000000%(無限)」
という感じです。

麦わらさんまだまだ。
でも、早い遅いというのはとくに問題ではないと思います。もちろん早いに越したことはないのは確かです。
というのは、神様の愛を悟れない期間は、けっこうもがくからです。良くなったと思ったらまた辛くなる。
これを頻繁に経験するようになります。だから大変だ、辛い、という事が何度も生じるようになるのだと思います。
私も信仰が1年目のときと5年目のときでは本当に全然違うのです^^;

ときどきですね、5年目の私が見て、1年目の方が HP「神様の愛:100%」だったかな、て思うことがあります。
でも、よくよく考えてみるとそうではありませんでした。1年目は過程に過ぎなかったのです。
0歳児がハイハイできるようになった!あんよできるようになった!やったね!!という感じかしら。
突如40歳くらいの成熟した社会人にはなれないですよね?

神様の愛もそれに少し似ています。
愛も成長するのです。初恋の時の愛と、長い間連れ添ってきた夫婦の愛は異なります。
ただ、そこで重要になるのは「期間」だけではありません。
長く連れ添っても、お互いの愛が冷めてしまったら発展もないし、むしろ離別します。
初恋の時の愛を抱きつつ、お互いに前進し、大変でも乗り越え、また乗り越えていくときに、相手との<経緯>が深まり
もっと成熟した愛ができるようになります。

それを私はこんな風にして(HP「神様の愛:%」)表現してみました。

「期間」や「早さ」だけが問題なのではないと思います。

大切なのは<経緯>

過ぎた日の経緯を忘れるな。

神様の御言葉の中で多く語られる言葉です。どんなに成熟した夫婦だとしても、記憶喪失になったら、お互いが歩んできた経緯も
何でもなかったかのようです。忘れてしまったら、一体何を力にして生きるでしょうか。過去の経緯があるから今をもっと突き進んでいくことができます。過去だけで今を生きるのではなくて、今も過去を持って生きるのです。過去は<経緯>です。

今も<経緯>を作り続けています。その過程の中で徐々に徐々に (HP「神様の愛:%」)が高まっていきます。
麦わらさんは5年目にして100%だったのですね。
100%は一つの区切りのようです。この数字に定義も何もありませんから自分はいくつや!と気にされないでくださいね。
現時点で、もっとも到達した時点を表すならば、今は100%だなと思いました。

経緯を忘れてしまうならば、愛を深め高めることは、とても困難のことに思えます。

どうやったら神様との愛が高くなるのか

辛くても倒れても、それでも前に向かう人はまるでこの絵のように前進します。

manitius_sigrid / Pixabay

これは螺旋階段です。
行ったり来たりしているようですよね。ぐるぐるぐるぐる。
同じとこをずっと繰り返しているように見えますが、そうではありません。
少しずつ高くなっています。

私が摂理で育んできた愛は、まるでこのようなものです。
徐々に高くなる愛。
忘れていけないのは「御言葉」通り。「御言葉」に沿って行う時に高くなります。
何が高くなるのかというと、「考えの次元」です。

大げさに言うならば、

Before「私にとって最高なものはない。何をやってもダメだ。自分なんてなくなってしまえ。」
After「今が最高だ。やればできる。やらないでできることはないから、やってみよう!」

これくらい次元が変わります。神様の考え方に変わるから、人生が変わって見えますね。
でも、このような御言葉を自分がどれくらい受け入れられるのか、そのスピードによって変化がそれぞれです。
愛もそうです。神様の愛がどくらいすんなり受け入れられるのか、認められるのか、これがとても大きい・・・。

5年目にして麦わらさんは、より神様の愛を確信するようになりました。
今までは「このままで大丈夫だろうか?不安だな。」そういう期間が長かったような気がします。いらないことでごちゃごちゃ考えて引っかかることの方が多かったです。でも考えを直せば直すほど、神様の愛も御言葉もすんなり入ってくるようになりました。

サッカーも運転も韓国語もちょっとずつできます!笑(最近これらにチャレンジしているのですが、ものすごい葛藤です)
できないときは常々泣きそうですが、赤ちゃんも歩くまでにどれくらい泣いたかしれません。それくらいやればできるようになるということです(^^)

最後に先生からいただいた御言葉をプレゼントします。

「存在する時までだけ存在します」

「やる時だけできるし、やらなければできません」

「続けて行いつつ存在させることです」

「<過去、行ったこと>を基準にしないで、<現在も行いつつ存在すること>を基準にします。<今>「何をしているか」が重要です。今も行わなければなりません」

「『存在する時までだけ存在する』これが神様の順理の法則です。」

誰でも彼でも、<今>も<続けて>行っているから「存在」できます。
呼吸を今もし続けているから、存在できます。これが神様の法則って、いやあ現実的ですね!笑

私達、ぶつかることは常々ありますが、存在しているからですよ!
がんばっていきましょう(*^^*)

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ABOUT ME
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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]