愛する人がすぐそばにいるのに、
どうして私を見ないのか?
あなた、牛肉ロースを1440切れももっていて、愛する恋人の前で一切れでも分けてくれないのか?
今週、御言葉を聞いてどきりとしました。
いつもそばにいる神様
神様は見えないけれども100%存在しています。
どうして見えないのに存在を認められるのか?
テレビもつかないと電波の存在に気がつきませんが、アンテナを電波がある方向に向けて、電波を探し、キャッチすれば、確かにテレビがつくし、電波の存在を認めるようになります。
神様に向けてもそうです。
電波がいくら地上に降り注がれているとしても、私たちが電波を探して、その方向に意識することをしなければ、聖三位の存在に気がつくことができないのです。
聖三位は1分だとしても、人間たちと疎通したいと願っています。鄭明析先生が教えてくださいました。
一日を分単位で計算すると1440分です。
<一日1440分>は「1440切れの肉」と同じです。
私たちは聖三位の前で、まるで1440切れある牛肉ロースを、愛する恋人に一切れも分け与えないで、一人で食べているのと同じだとおっしゃいました。
「おいしい牛肉のロース1440切れを焼いて食べているので、『一切れでもくれるのか』と思って、ずっと立って待っていた。」
私の良心が痛みました。
愛する恋人は、一切れなら私にくれるだろうと期待して待っているのに、私たちはその一切れすらも与えないで暮らしているのです。
そのように全能なる神様と聖霊様と御子様はいつも近づいてくださっているのに、私たちは自分の時間の1分でも、愛して時間を与えようとしません。
無知で気がつかないし、知っていても忘れて生き、自分一人で生きてるように過ごしています。だから聖三位ももどかしいのだとおっしゃいました。
私も悔い改めて、もっと聖三位を意識して過ごす一週間にしていきたいと思いますT_T
愛の神様、聖霊様、御子様、主は、本当に温かい愛でいつも共にされてますから、少しでも、1分でも、心を向けてみてくださいね。