シナリオライターに憧れる
私は中高時代、5年間吹奏楽部に所属し青春時代を送りました。しかし大学に入ってからは何もしませんでした。ただひとつ、私は「神ゲー」といわれるゲームをひたすらニコニコ動画で検索してずっと見ていました^^; 一日の半分以上をそこで費やすこともありました。目的は「面白いシナリオのゲームを見たい」という欲求からでした。
シナリオにどうしてこんなに憧れたのかというと・・・
自分の人生でもっとも感動を受けた媒体は「ゲーム」であり「シナリオ」だったからです。世の「神ゲー」と呼ばれるゲームがどれほど「神」であり、何によって「神」と呼ばれているのか、好奇心がありました。実際に見てみると、なかなか興味深い内容のものが多かったです。
その中でも、もっとも衝撃を受けたゲームは『moon』というゲームでした。このゲームは「愛」をテーマにしたゲームで、一人の引きこもりの少年が主人公でした。ある日ずっと部屋でプレイしていたゲームの中に主人公が入ってしまうのですが・・・このゲームのラストに度肝を抜かれたのです。
すごーく核心を突くと、ゲームはプログラムされた世界。だから主人公がどんなに物語の内容を変える大きな働き(たとえそれが愛で救いを成すことだとしても)をしたところで、「もともとプログラムされた世界を変えることはできない」という結末でした。だから主人公は、ついに部屋から出ることを決心します。
このすべての構成は「シナリオ」がもとになります。シナリオによって展開が変わり、ラストが変わり、ユーザーの涙を誘ったり、怒りを買ったりします。シナリオがすべての主導権を握るのだと分かった瞬間でした。
最高のシナリオとの出会い
それ以降、もっと深いシナリオを自分も書けるようになりたいと思って、大学時代は本を読みあさっていました。新書も読んで小説も読んで児童書も読んで・・・そしてひょんな流れで「聖書」を読むようになりました。はじめは「世界のベストセラーと呼ばれる聖書くらいはちゃんと読んでおかないとな」くらいにしか思っていませんでしたが、、いやいや・・・
聖書にはすべてが入っていました。
聖書は「愛」をテーマにした、最高のシナリオだったのです。
誰がシナリオを書いたのかって・・・もちろん「神様」です。
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 テモテ第二の手紙 3章16節
宇宙創造の歴史から、イスラエルの歴史(旧約聖書)、そして救い主イエスと弟子たちの歴史(新約聖書)まで、鄭明析(チョンミョンソク)先生はこと細やかにすべて教えてくださいました。そして全て学び終わったころには、神様の壮大なシナリオの中にすっぽり入っていました。神様が導く歴史の流れ(計画)が、本当にドラマチックに、しかも現在まで続いていることがわかって、目から鱗どころじゃなく、度肝を抜きました。
私、深いシナリオを書こうと思ったけれども、もう書く必要がないな、
と思うくらいでした^^;
結局『moon』の主人公がプログラムされた世界を抜け出て現実を生きる価値を見出したように、私も作り出そうとする世界ではなく、生きている「今」が一番最高のシナリオの真っただ中だったのだということが分かりました。
聖書は人類史上最高のシナリオであり、最高のライターは神様です!
それを見出させてくださったこと本当に感謝します!!