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漫画「大きな人になりたかった」人生の選択〜誰についていくのかで運命が変わる〜


漠然と「大きな人」になりたかった。

ただ漠然と「大きな人」になりたいと思っていたコブン。

でもやりたいこともなくて、夢もはっきり持てず、何をしていいのか分からないコブンは、

いろんな夢をなんとか成し遂げようとするオヤビンについていきました。

でも、オヤビンが向かう目的地があまりにも変わっていくから、

コブンは翻弄されながら、「本当に自分が何をしたらいいのか」もっと考えるようになりました。

コブンのような人、いるでしょうか・・・?

私はどちらかというとオヤビンタイプで、なんでも思いついたことをやってみようとするけれども、全部中途半端になるタイプでした。それでも私にコブンが当てはまるところがあるのは、漠然と「大きな人になりたい」ということでした。

いつか有名人になって大きくなったら、友達をあっと言わせてやりたいなあ、なんて思ったことも実はありました^^;笑

アイドルグループの嵐がとっても好きな友人がいたのですが、その友人に「私がいつか嵐のサインゲットしてあげるよ」とかそんなこと話したような記憶があります。(恥ずかしいから記憶よなくなれ笑)

コブンのように、急に変な人に飛びついたりはしませんでしたが笑

それでも誰か私を引っ張ってくれる人がいたらいいのになあって思いました。すごく感銘を受ける誰かについていきたいなあとか、自分をものすごくバックアップして助けてくれる人がいたらいいのになあとか、いろいろ考えました。

偉人伝とかはあまり読みませんでした。遠い雲の上の存在にしか見えなかったし、自分に落とし込むのは難しかったなあと感じています。彼らの話す名言も、すごいなあと思ったり、うん〜心に染みる!と思うものもありましたが、どうしても自分のものにはなりませんでした。

漠然と理想ばかりが大きいから、現実の自分を見てとてももどかしかったです。

もっとこんなことも、あんなこともできそうなのに・・・!

でも、できなかったです・・・。

具体的にこんなことがやりたい!と思うものがありますか。私は最終的にはシナリオライターになりたいと思っていました。でも人が話す「この人すごい」みたいな方を見てついて行きたいとは思わなくて、自分がやったゲームとか感銘を受けた本とかを読んで、それを師匠にしてマネをしたり、研究したりしていました。

でも、一番大変だったのは、自分のモチベーションを維持することでした。

隣に師匠がいるわけでもないし、自分に才能があるわけでもないし、つくっては消して、つくってはやめてを繰り返すばかりでした。

結局「大きな人」になるって、どうやるんだか、全然分かりませんでした。

本当についていくべき存在

コブンの話でもう一つ取り上げたかったのは「誰についていくのかで運命が大きく変わる」ということでした。

コブンがついていったのはオヤビンでしたが、オヤビンも人生の道をさまよって生きていました。

だから、結局コブンの問題は解決できませんでした。

本当に自分の問題を解決してくれる人はどこにいるのでしょうか・・・?

衣食住の問題なら、お金があれば大抵は解決するかもしれません。でも心の問題、特に人生の問題となると、中々簡単には解決しないでしょう。

なぜなら、どんなにすごいと言われる人についていったとしても、その人も人生の問題を解決できていないからです。どんなにすごい実績のある人だとしても、人生の実績がどれくらいかは分かりません。成功して上手くいっているように見えていても、明日どうなっているのか分からないから、最後まで行かなければ、本当に実績のある人なのかは分からないものです。

またどんなに上手く、力のある人だとしても、その人の発言は、その人の発言にとどまります。

感動を受ける言葉はたーっくさんあります!でも、「本当に残る言葉」はそんなにありません。大抵が「すごーい」で終わってしまいます。自分のものになる言葉ってその中でもわずかなものなんだと感じています。

だから人々が話す大きな人、ついていきたいと思う人が、本当に人生の問題を解決してくれる人なのかを見分けなければいけないと思います。安易についていって、コブンのごとく、後々後悔したらいけないですからね^^;

私は摂理で御言葉を聞くようになりましたが、どうして摂理について行き、先生について行くでしょうか。先生は世間的には獄の中にいる犯罪者だと思われていますが、それでもついて行く理由は何でしょうか。

私は先生があの獄中の中にいるからこそ、先生の生き方が本物だと分かるようになりました。先生があの場所にいながら、私たちのために書き送ってくださった御言葉はものすごい分量です。言葉に言い表せないくらいの分量の御言葉を毎日欠かさず伝えてくださいました。

それが最も低くて汚くて辛いあの場所で過ごす人のすることでしょうか・・・。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである(マタイ11章28〜30節)

この聖句のように、私の重荷も確かに、軽くなってしまいました。

人生の問題を解決している人でなければ、誰かの重荷を本当に根本から軽くすることは難しいと思います。自分の問題が生じた時、誰かの問題も軽くするのは至難の業です。自分の仕事がたくさんあって大変なのに、人の仕事を手伝うことが難しいように、もっと難しいことだと思います。

誰が人の重荷を軽くすることができるでしょうか・・・。

人の人生を自分のことのように愛し、共にし、助け働きかけてくれる存在は、どこにいるのでしょうか。

コブンのように探して駄目だとしても、最後まで探せば必ず見つかることができます!

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ABOUT ME
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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]