自分探しとか、将来の夢とか、学生のときは散々考える時間がありました。でも大人になったら、そいういうことを考える時間はぐっと減りました。毎日こなす仕事があるから、自分を知るとか、生きる目的とか、そういうことを考えなくなるんですよね。いかに残業を減らして、ミスなく、平和にできるのかと、私は考えています笑
学生のときは「自分探しがしたい!海外行きたい!まったく違う世界に行きたい!」とかよく考えたものです。
将来については「ビッグになりたい!」とか考えていましたけど、今考えると、すごくいいなあって思います^^;いやいや、今も天の前でビッグになる挑戦の嵐ですよ。
ところで、「自分探し」のセットのように「旅」することが頭に浮かぶのですが、私は結局自分探しの旅で世界を渡り歩くことはしませんでした。私は本の沼地に足を踏み入れて、なかなか出てこれませんでした。よく沼地と喩えたものです。たしかに、本はありとあらゆる思考の沼地です。
教会に通うメンバーの中には、文字とおり旅に出た人もいました。それも北極とか、あっちの方まで渡り歩いて、生き方の全く異なる人と出会い、自然の神秘さと出会い、どれほど人間が小さく弱く、でも尊いのかを学んでこられたそうです。
それでも「人生の目的」「自分について」知ることはできなかったそうです。
「自分」といっても、大きなくくりである「人間」が何のために生きているのかわからないから、そもそも「自分」が何のために生きるのか知らなくて当然です^^;
人生の目的と言うけれども、究極的には死にます。おばあちゃんになった自分を思い浮かべても、いつかは病気のことで頭を悩ましたり、家族や親戚に気を遣ったりする姿が思い浮かびます。いやあ、、そんなリアルなこと考えたら生きる希望がないやんけ、と言いたくなりますね。
あるメンバーは、老人になって施設に入っても、誰一人その人に会いにきてくれないのを見て、心が痛んだそうです。ああ、どうして人間の末路はこのように虚しいのだろうと感じたそうです。
そういうことを考えたら、誰でも嫌ですよね。「今が良ければいいじゃん!」という考えに走りたくなりますよね。私も大学時代こういうことばかり考えていたから「今自分にできることはなんだ!?」と考えて考えて、ジタバタしていました。
「自分を知る」ためには?
「人生の目的を知る」ためには?
答えは、神様が知っています。
逆に話すと、家族や友人や有名人や尊敬する人や学校の先生は知りません。だとしたら身の回りに知っている人はいないです・・・!でも唯一知っているのが「神様」なんです。
神様、という驚異的な存在について深く考えたことはありますか・・?私はありませんでした。雨になったらつばを吐きかける存在だと思ってめちゃ皮肉って解釈する存在でした^^;(ごめんなさい)
自分について神様くらい知っていなければいけないじゃないですか!そう思いませんか?神様くらい自分について知っている方がいなければ、絶望じゃないですか?
どんなモノにも必ず作者が存在します。作者だけがモノの価値がわかるし、モノをどのように扱ったらモノの能力を活かせるか分かります。モノは知っている人に使われてこそ、嬉しいです。知らない人に、思ってもみない使われ方をしたら、モノも無念、作者も無念です。
人間も無念な状態です。なぜなら、自分について知らないから。人生の目的を知らないから。人間も無念、神様も無念です。
本来はそのように使われる存在ではないのに!そう思って胸を叩く神様です。
自分を知ることも、人生の目的を知ることも、すべて「神様を知ること」に直結しています。私は摂理で御言葉を聞くようになって、たくさん神様について学びましたが、神様について知ると嬉しいんですよね。まるで自分を知るように嬉しいんです。
神様が私達ひとりひとりに「あなた」という個性を与え、「生きる目的」を与えられました。そうでなくては、生まれたことに誰も責任なんて持ってくれません。親ですら、わかりません。愛し合って生まれたのですから、「生まれた」という事実に理由を付け加えるにも限界があります。
人が納得できるように話してくれるのは「神様」しかいません。神様が存在しなければ、それこそ絶望です。
そんな絶望の人生ではないのですよ!ほんとに、希望がたくさんあります!でもそれも、学んで知ってこそわかるようになります。
人間が目指すことのできる限界の最高地点に神様がいらっしゃるから、探している方は、神様のことを知れるように願い求めてみてくださいませ!