摂理の教えって何?と聞かれた時、
ざっくり話せば「御言葉」です!
その中でも基本的な御言葉が、BS(バイブルスタディ)と言います^^
何事も基本が整ってない状態で、応用問題は解けないように、BS(バイブルスタディ)は摂理の根幹となる教えなのかなと感じます。
今日は摂理の教えであるBSを聞くときの些細なことを書いてみたいと思います。
”教え”を聞くときって?〜些細なQ&A〜
教えときくと、何かとてつもなく崇高なイメージが(個人的に)あるのですが、そういう神々しいものではありません(笑)
机があるなら、その前に座って、伝えてくださる御言葉を聞くだけです^^
必ずしも何かしないといけない!というのは基本ありません!
貢物は必要ですか?
必要ありません!笑
何か捧げ物が必要なんじゃないだろうか・・・と思う方がいるかは分かりませんが、とくに何も持ってくる必要はありません。
聞きに来るときはとりあえず心を楽にしていただければ笑
お金は必要ですか?
要りません!
え、じゃあタダなの?
お金を請求されることはまーーーっったくありません。私はバイブルスタディを聞いていた当初、1円も払いませんでした(^^)
御言葉を聞く年齢層は本当に幅広いです。社会人で聞く人ももちろんいますが、お子さんをお持ちのお母さん、お父さんが聞くこともありますし、大学生、高校生、中学生だって聞くことはあります!私は小学生が聞いているのを見たことがあります!(摂理で結婚して生まれた子どもではなくです^^)
神様は御言葉をお金で売ることはしませんでした。2000年前イエス様も御言葉を伝えられるときお金を請求しませんでしたよね!むしろイエス様はご自身が貧しい思いをしたとしても、御言葉だけは命をかけて伝えられました。鄭明析先生が御言葉を伝えれてこの方、一度もお金を請求することはありませんでした。
もしお金を稼ぐ目的があるならば、きっとお金を要求するでしょう。でも摂理はそれが目的ではないので、そういうことは全くにありえません^^
正座しないとダメなの?
むしろ足は崩して下さい!笑
足が痺れて我慢して、御言葉を集中して聞けないのでは本末転倒です(゚∀゚)
イエス様は外でも家の中でもどんなところでも伝えられましたが、姿勢に関して指摘された描写はありませんでした・・・。そういう形式的な部分はむしろ神様は重要に思わないのです。心の姿勢。御言葉と真摯に向き合おうという姿勢が一番喜ばれる姿勢だと思います。
”教え”は絶対に受け入れないと行けないの?
絶対に受け入れるように強要することは一切ないです。伝える側としては、信者にすることを目的にして伝えることはしません。
もし信者にすることを目的とするなら、それこそ人数をノルマにして、とにかく信じるように強要もするかもしれません。が、摂理でそれをやったところでまったく意味はありません。人数が目的ではなく、その人が正しく神様を知れるように、真実に最大限その人と向き合って御言葉を伝えます。
信じることは、自ら正しく分かって、本当にそうだな!と実感してこそ信じることができます。人を信じることも簡単ではないように、神様を信じることも最初は難しいと思います。でもこればっかりは自分で神様を感じる体験をしないと、信じることはできないですから・・・
こわばらず、でも自分の考えで一線を引いてしまうばかりでも真実に伝えたい言葉が聞こえないこともあると思うので、もし聞かれるときはとりあえず自分の考えを下ろして、純粋に聞いてみていただけたらと思います^^
さあ、この特集は役立つのか分かりませんが笑
摂理の”教え”といっても、御言葉が全てなので、あまり形式的なところは気にせず、是非御言葉とまっすぐと向き合って聞いてみてくださいね!