今日ずっと頭から離れない讃美があります。
それが
「私」
という讃美。
この曲は鄭明析先生の詩を元に書かれた曲なのですが、詩だけ読んでも、先生がどれほど人生を大きく生きてこられたのか感じられます。
詩という表現から<讃美>に表現されたのですが、
曲がつくと、さらに深く、自分も一緒に告白できるからいいですよね^^
摂理の名古屋教会と千葉教会の映像2つご紹介します。
同じ曲なのに、伝わってくるものが違うのが不思議です。
神様も、各教会で捧げる讃美を、いつも楽しみに聞いているのだなあと感じます。
「私」
木の葉舟(このはぶね)に
千年の夢を乗せ
私は 日々希望で櫓を漕ぐ
言葉よりも実践だ
言葉より実践だ
体は小さいが全て理解し
目は小さいがあの世この世
全て見抜く
手と足は鉄の杖のよう
わが人生で使って余る
この体で
私のため
家族のため
民族のため
世界のため
天宙のため
未練もなく使ってゆこう
私は絶対信じて、絶対実践します。
だから御言葉、信仰、実践、この三つのことが、他の人が私を見た時驚くことだということです。
言葉が花なら、行動は実です。花だけでは何も解決できません。実体は実です。
しかし実は苦いんです。言葉は甘いんですが、行動は苦いんです。今御言葉を聞いているから甘いでしょう。
しかし一度実践をしてみて下さい。実践するときには苦いんです。
しかし苦いけれども実があるのです。それが私達を生かすし、それによって黒字になるし、私達を存在できるようにします。
誰かが私に、教理は何かと聞くなら、行動することが教理だと言います。実践ということがどれ程大きいことか分かりません。(鄭明析先生の御言葉より)
心が弱くなってはいけませんね。行動することを恐れては、神様が自分を通して成したいことも成せません。
言葉よりも実践だ。
苦い経験をしても、実践しないことよりはましですよね。
私も最近、苦い経験、苦い言葉を聞いて辛くなりましたが、そこで足を止めていたら、前に進みませんから・・・
この讃美を捧げて、前を向いて、一歩踏み出して、今日もがんばりましょう!