敵が飢えたら食べさせ、憎んだら愛しなさい。
その人があなたを敵として接しても、あなたは敵として接しなければ、
あなたは死から出てきて「義人」になり、「神様の誇り」になる。
神様と一緒に暮らして、
「神様のような心と考え」をもって「神様のような実践」をしなさい。
(鄭明析先生の御言葉より)
敵が飢えたら食べさせ、憎んだら愛しなさい。
この御言葉、どこかで聞いたことあるな?
しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。(マタイによる福音書5:44)
しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。 のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。 あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。(ルカによる福音書6:27〜29)
数ある聖句の中で、もっともハッとさせられ、ギクッとさせられる御言葉です。
どうやったら敵のような、憎む相手を愛することができるのだろう・・・?
このような愛が存在することを、すでに2000年前にイエス様が教えてくださっていたのでした。
2000年前です。
今、先生もあの場所にいらっしゃりながら同じようにおっしゃいます。
敵が飢えたら食べさせ、憎んだら愛しなさい。
その人があなたを敵として接しても、あなたは敵として接しなければ、
あなたは死から出てきて「義人」になり、「神様の誇り」になる。
これをどんな気持ちで話すでしょうか・・・。
この世でもっとも偉大な母の愛だとしても、憎む相手を愛することって難しいですよね。
大事な子どもを奪った相手を愛することができるでしょうか・・・?
自分に悪口を言う人のことだって、許して愛することが難しいのに、先生は私たちにこのように御言葉を伝えられるから驚愕です。
神様の愛がどれほど大きいのか・・・
それを先生はご自身の生を通して見せてくださいます。
私達が人を裁いてはいけないのだとおっしゃいました。
神様にゆだねなさいと。
無念なことも全て神様に祈りなさいと、おっしゃいました。
だから私達は自分の手で、武力でやり返してはいけません。
敵を愛して、敵のためにも祈ってあげます。これを先生がすでに実践されました。
その敵がもしも大変なことに見舞われたとしても、先生はその命が救われるように祈ります。
驚嘆です。そして私たちにこうおっしゃるのです。
敵が飢えたら食べさせ、憎んだら愛しなさい。
その人があなたを敵として接しても、あなたは敵として接しなければ、
あなたは死から出てきて「義人」になり、「神様の誇り」になる。
神様と一緒に暮らして、
「神様のような心と考え」をもって「神様のような実践」をしなさい。
何度読んでも、ハッとさせられる御言葉です。