摂理には若者、主に大学生が多いと言いますが、
現状としては、教会ごとによって異なるので、なんともいえないのかなと思います^^;
そんな麦わらさんは大学生のときに摂理に来ました。(が、もう社会人です)
”手口”というと「犯罪・悪事の方法(の類型)」という意味がありますが、
摂理の手口、と言われると、ものすごい”あくどい”印象を持たれそうです^^;^^;^^;
何をあくどいと定義するかはそれぞれかもしれませんが、
そんなあくどい巧妙な手口というのはありません。
正直話すと、
手口もなにもないという感じです。
摂理は世界的に見てもとても大きくなりましたから、ネットで検索しても、ブログもあればyoutubeの動画もたくさんあがっています。
何を隠そうと言っても、隠せない世の中になってきましたよね・・・。
だからどんなきっかけで摂理に出会おうと、
一度自分の目で見てみてください。
というのが全ての答えだと思います^^;
大学生が入る手口というのも、正直ありません。
大学生だって一人の人間ですから。
摂理だろうとなんだろうと、御言葉を聞いて「本当にそうだ!」と思うなら続けて何を言われようと摂理に行くと思いますし、
「変だ」と思えば出ていくと思います。
手口の巧妙さ、というのも、「その人がどう判断するか」にかかっていると思います。
摂理のことをいろいろ変な団体のように書かれている情報もあります。
でも、そんな実体があったら私は驚いて気絶しないとしても、速攻逃げます。(光のごとく)
摂理に出会うきっかけ、手口というのは、<結果>ではなくて、
最終的に摂理に行くか行かないかは、ご自身で決めていただいたらいいのです^^!
最後に私がひとつだけ話せる”最大の手口”があるとしたら、
「自分の人生って何のためにあるのだろう?」
「どうして良い人たちが害を受けるんだろう?どうして悪口の方が多いんだろう?」
「なんで良い人たちが自殺するんだろう?」
「どうして悪いことをしても捕まらないんだろう?そもそも悪いことって何だろう?」
「自分ってどうして生きているんだろう?」
「私は今後なにをして生きたらいいのだろう?」
このような悩みにスッキリと答えてくれることです。
私が大学生のときにずっと悩んでいた問題にもし摂理が答えてくれなかったなら行きませんでした。
だから摂理の”最大の手口”は、このような問題を解く「御言葉」そのものじゃないのかなあと思っています^^