私たちは普段何を「頭」にして生きているでしょうか。頭には「脳」があります。脳からは「考え」が出てきます。
その考えが「正常」か「非正常」かによって人生の<運命>が変わりますが、この正常か非正常を見分ける「頭」がとても重要なのです。これを<自分の考えで判断>すると、人生誤った判断をすることがしばしば起こります。
ブレーキを踏もうとして、うっかりアクセル踏んじゃった!みたいなことになります。
<自分の考え>どおりには、やってみても「その次元以上」はできません。
<主>を「頭」にして、<主の考え>を「頭」にして、<自分>は「主の肢体」になって行なってこそ、
毎日「しるし」が起こります。(主日の御言葉「 分かったら、考えも行動も変わる。」より)
主を頭にすると、ブレーキを踏むべきところで踏めるようになるし、アクセルを踏むべきところで踏めるようになります。正しい判断ができるようになります。また人生をもっと肯定的に、大きく生きることができるようになります。
ところで麦わらさんがこの御言葉通りに<ちゃんと主を頭にして行えているのか>と言及すると、非常にアーメンと言い難い自分自身のひ弱な心が現れます。
(´・ω・`)「分かってそうで、分かっていないわ」
まず「主を頭にする」という言葉自体がよく落とし込めていません。きっと御言葉を聞いていない人はもっと渋い表情をしているかもしれません。
(-_-)「主を頭、主を頭…」と連呼していても主を頭にすることは難しいです。
それでいろいろと頭で七転八倒のごとく悩んで祈っておりました。
そのときふと、浮かんできた言葉があります。
「運転しているときは何を頭にしているのか?」
車の運転と人生の運転
「運転しているときは何を頭にしているのか?」
この問いに大真面目に回答します。
<道路交通法>と<正しい運転方法>
(`・ω・´)です!!
考えてみると、私は<道路交通法>と<正しい運転方法>を頭にして運転していました!
それ以外のものを頭にしようとするならば、とりあえず不安で仕方がありません…。道路交通法を違反したらいろいろと大変な問題が起こって、とりあえず損しかしないですよね(-_-)また正しい運転方法を学ばず適当に運転したら、自分の命を失うことにもなるし、他人の命を失うことにもなります。だから道路に出て運転する前に必ず教習所に行って学ばなければいけません。
「では人生の運転は何を頭にして生きているのか?」
(`・ω・´)
そうか、これか…!
人生の運転、皆さんは何を頭にして生きていますか…?
私は昔だったら、学校の先生の言葉だったり、親の言葉だったり、友達の言葉だったり、世間が話す常識だったり法律だったり、そういうものを頭にしていました。もしくは自己啓発本だったり、人が「イイね!」と言うことを頭にして行っていたかと思います。でも、それを頭にした結果、私は自分が何をしていいのか分からず、何をしたいのかも分からず、自信も持てず、人の目を気にして、世間の目も気にして、分からなくなってしまったこともたくさんありました。
それで神様が<御言葉>を教えてくれるようになりました。
「人生の運転をするためには、まずちゃんと御言葉を学んでみなさい。そうしたらもっとよく運転できる。」
御言葉を頭にしたとき、私は考え方も変わり、行動も変わるようになりました。確かに、考えてみれば、そうでした。
今課題なのは、もっと主を頭にして行うためにはどうしたらいいのか…?
人生の運転は、車の運転ほどにちゃんと行えているのか…?
車の運転は、一度判断を誤ると、本当に危ないですよね。でも人生の運転も同じです。目にはすぐ見えにくいかもしれませんが、徐々に徐々にその運転する方向を誤ると、間違った方向に人生が傾いてしまうのです。
だから神様が「これが本当に良いよ!」とおっしゃった言葉に合わせて、人生の運転をしなくちゃいけない!そう思いました。
正しく分かって、考えと行動が本当に良い方向に行けるように、お祈りします。