昨日、帰り道の夜の駅構内で、悲鳴が聞こえました。
見ると、男の人が男の人の首をつかんで、揉めていました。
片方は怒鳴って、ひどく憤って多くの人に囲まれながらも、相手の首を掴んで
線路の方に相手の首を持って行って、電車がすぐ横を通るのですごく危なかったです。
首を掴まれている人は、なんとなく諦めたような顔で、心がどうにでもなれというような表情で
それも見ていて、怖かったです。
女の人が悲鳴をあげ、叫びながらその暴力を止めようとしていました。
私は反対の電車に乗って、その場をあとにしましたが、
本当にこのような争いがなくなるように祈りました。
過去に暴力を受けたことはありますか?
とても痛いです。痛いだけでなく、怖いです。
どうしたらいいのかわからなくなります。
暴力をうけることで必死になります。
終わったあとは、体にも傷がつき、心にも傷がつきます。
暴力をふるったことはありますか?
その時は、もう自分自身を制御できなくて、頭がいっぱいになります。
どうしてだ!なんでだ!いろんな気持ちが噴火して、自分でもよくわかりません。
気持ちが収まらないから勝ってに手が出て、足が出て、言葉が出ます。
でも終わったあと、ひどく心が冷静になります。
とどまらない時は、まだ憎しみが湧いてきます。
でも、大半は、どうしてやってしまったのだろうと、後悔します。
私は受ける側になったこともあるし、する側になったことは、あまりなかったかもしれませんが、
憎しみがどばー!!と出てきて、自分では抑えられない憤りを感じたことは何回もあります。
暴力を見たことは何度かありました。
それを見る度に抑えきれない、何か、留めたい衝動にかられます。
また、家族でそうなったときには、昨日女の人が止めようと悲鳴をあげ、叫んでいたように
私も叫んだことがあります。
争いが怖いです。
私は最近業務が変わってから、クレーム対応がとても多いです。
争いに発展するしかない事情がたくさんあるから、相手と争いたくなくても争いに発展しそうな状況が多くあります。私たちはどうすることもできないので、謝るばかりです。
私は人一倍争いが嫌いなので、できれば争いたくない。
なんとか留めたい。そう思います。でも、私もついカッとなることも生じてしまうことがあります。
反省です。自分の立場しか考えていなかったから。
先生もこんなふうに話していました。
人生を生きて行く時、平和なことよりは不満なことがうんと多いものです。
不満なことでも平和を作り出して行く時のみ、その人生が平和の運命に変わります。
しかし、平和なことでも自分の性格上不満を持って生きていったら、結局、平和な運命が不満の運命に変わり、
辛い目に遭い、害を受け、憎しみと争いと戦争に変わってしまいます。
だからどんなに不満なことがあっても、笑って、愛して、平和を作り出さなければなりません。
空がどんよりしていると雨が降り出し、ぬかるみになって、いい日の行事ができないように、
人間も顔をしかめたら、夕立が降る日のようで、その運命が変わって、
いい日が来かけていたのに消えてしまい、災いばかり降りかかって来ます。
誰でもどんな理由を問わず、耐え忍んでどんどん平和を作り出す時のみ、自分が嬉しく楽しくなります。
誰でもみんな、平和を願っています。
でも、自分にとって良くないこと、うまくいかないこと、思い通りにいかないことがあると、
不平不満が出て、憤りが出て、争うようになります。
どんなに不満なことが多くても、平和をつくり出してい行く道。その人生が平和の運命にする。
辛くても大変でも、我慢しよう。
そうしたら本当にみんなが願っている「平和」が実現するはず。
<我慢する人>がうれしい。<我慢する人>は善の喜びと興奮が続き、結局は得る。
(鄭明析先生の御言葉より)