<考え>がぼやけていると、ちょうど<目>がぼやけて前が見えないのと同じで、
どんなものを見たり、聞いたりしても、正しく判断することができず、
正しく行なうことができず、善と悪をしっかり分別することができない。
鄭明析先生の明け方の御言葉より
最近考えについての御言葉が出ますが、考えの重要性を感じる日々です。
この御言葉のように、考えがぼやけていると、一日なんだか眠かったり、覇気がなかったり、目的もぼやけて無気力になってしまいます。
正しい判断ができなくて損を被ることもあるし、すべきことができなくて害を受けたりもします。
人間の考えが人生を左右するとも言います。
最近仕事の人にこんな話をされました。
「今度5連休をもらえるんだけど、麦わらさん、どこかおすすめな場所ある?」
「そうですねえ。(月明洞ですと言いたいけれど言えないしな)どこか行きたい場所ないんですか?」
「それがないんだよな。世界遺産とか見に行ってみたいけど。なんか誰に聞いてもここがいいとかって言ってくれなくて」
「目的がそれぞれありますからね。何か目的を見つけてみたらどうですか?」
「目的かあ。」
「たとえば癒されたいなら、癒しのある場所に行くとか」
「う~ん。目的がないんだよなあ」
私はこの話を聞いて、悲しくなりました。
こんなに一生懸命仕事して、ようやく得た休暇なのに、目的もなく何をしたらいいのか分からない・・・。
「観光地に行けば、誰かに話のタネくらいになるかな」
う~ん・・話のタネくらいにするための旅行って何だろうか・・・?
きっとこの人だけではなく、現代人の多くの人が目的が分からずさまよっているのだなと感じました。
私たちは、大きな目的を知りました。永遠にまで届く大きな神様の目的と共にできること、本当に感謝します。
同時に、私は自分の肉体を見て考えます。「私もこれからどうしたらよいだろうか?」
私たちには祈る対象がいます。聖三位と主がいます。だから対話しながら必ず御心の道があると信じています。
祈りなさい。御言葉の帆を脳に挿しなさい。
主の帆をつけなさい!
そうしたらどんな患難の波にもおし流されることなく、
主とともに最後まで目的地まで力強く航海するようになる。
アーメン!最後まで信じて必ず主の願う目的地に行きます(^o^)