私は摂理に来るまで、自分に自信を持てない人間でした。というのは、自分の中に矛盾があることを知っていたし、誇れるほどの才能もなく、何かがんばっても最後までいけなかったからです。
世の中で成功するためには、結果がなければなりません。結果が見えてようやく認められるからです。しかし、結果が見えなければ、認められないし、これといって境遇が変わることもありません。また、認められたからといって、良い人間関係が結べるわけでもありません。成功する人をひがむ人もいます。また、自分以上の大きな人からは、蔑まれることもあります。
そういう中で自分の価値を、社会的な評価に置く人もいるし、成功実績に置く人もいるでしょう。しかし、そういう考え方をしていると、いつか限界にぶつかります。何かを認められてはじめて自分の価値を感じれるのであれば、失敗し、悪い境遇に置かれたときどうなるでしょうか。
<考え>で「成功と失敗」が左右される。
だからよく考えたかどうかを確認して行ないなさい。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
考えで成功と失敗が左右されると、先生は教えてくださいました。「世の中で成功しないと生きている価値がない」このように考える人は、失敗したときに自分を落胆させ、自分を殺しかねません。
しかし、自分が自分の価値を完全に知るということは難しいことです。また、他人が完全に教えてくれることもまた難しいことです。その人が本当に信頼できる人だとしても、その人の言うことが100%とも限りません。その人も得てきた経験と実績で判断するのであって、自分の価値そのものを伝えてくれるわけではないのです。そういうわけで、私は非常に悩んでいました。
摂理に出会って、御言葉を学ぶようになると、神様について知るようになりました。神様は結果ももちろんご覧になりますが、何よりも過程をご覧になり、心をご覧になるのだと学びました。
かえって、わたしたちは神の信任を受けて福音を託されたので、人間に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を見分ける神に喜ばれるように、福音を語るのである。テサロニケ人への第一の手紙/ 02章 04節
心を見分ける神、とあるように、神様はどのような心で行ったのか、そこを見るのです。それで私の考え方が変わりました。そして振り返ってみて思いました。
ああ、自分はこんなにできていない、足りないな、と思っていたけれども、私のこれまでの悩みを覚えていらっしゃり、やろうとした心を覚えていらっしゃり、今までやってきたものを全て見てくださったから、今、私にこれを与えてくださっているのだな。
神様は単純ではありません。その人の努力を覚えていらっしゃり、必ず何らかの形で報いてくださる神様です。自分が思っていたかたちでないにしても、想像以上の形で悟らせてくださり、報いてくださる神様です。・・・このことを、私はつい最近も悟ったのでした。
今いただいているすべてのものも、神様が御心があってくださっています。その過程をもう一度振り返ってみるのも良いかもしれませんね。私たちが自分の必要性を悟ってこそ、もっと自分に希望を持って、次元を上げて前進していくことができます。絶対に自分の考えで自分の価値を下げてはいけません。他人の考えで自分を見て判断してもいけません。ただひたすら神様だけが私の価値をご存じで、知ろうとするならば必ず悟らせてくださる神様です。
分かったならばひたすら感謝だ~~~(*´ω`*)
分かったならば自負心が湧き上がってくるだろう~~~(*´ω`*)
私にはできないことを「あなた」にはできるから、希望を持って力強く前進していきましょう~~☆