鄭明析(チョンミョンソク)先生について
鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師は、1945年3月16日に韓国の忠清南道錦山郡、月明洞で6男1女の三男として誕生しました。
先生が生まれた当時、韓国は植民地支配から独立する、終戦の年。朝鮮戦争などの影響を受けて生活は困窮としていました。食べ物はその日を生き延びる分だけのお米で薄いお粥をつくり、クズの根を掘って飢えをしのぐ毎日。学校にも行けませんでした。「こんな先の見えない人生なら生きている意味が無いのではないか」当時小学生だった先生は人生について深く考えるようになりました。耐えられない現実に先生は切実に人生の答えを求めていました。そしていつしか「聖書」と出会うようになりました。
先生について、公式サイトや、こちらのブログでも詳しく知ることができます。
私は鄭明析(チョンミョンソク)先生と直接出会ったことはありません。
しかし私には毎日御言葉が聞ける環境があり、御言葉によって神様の愛を知り、先生についても少しずつ知るようになりました。
写真 摂理 月明サイトより
先生はベトナム戦争に参戦されています。
戦争なんて、私は経験したこともないし、その恐ろしさを知ることは幸いにもありませんでしたが今話題になっているイスラム国の現状を見ると、戦争の恐ろしさを少しばかり感じることができます。
戦争に参戦した人々は、とても深刻な精神的な後遺症が残ったそうです。それゆえ、戦争から帰ってきても、正常に生きられず、自殺者が絶えないという話を聞きました。殺さなければ殺されるような環境で、何年も過ごすのですから、想像してみても気が狂う話です。先生はベトナム戦争の現場にいたにもかかわらず、いつも祈り、聖書を読み、銃を構えて撃つにしても、
「ここから逃げなさい」と、違う場所に撃って敵が逃げるようになさいました。
先生はベトナム戦争で一人も殺すことをしませんでした。敵も一人の人間として見て、同じように家族を持つ一人なのだと、考えて見ていたからでした。しかし戦場の場でその考えを貫くことは大変だったはずです。先生も、とってももがかれたのだと思います。先生だからと言って辛くなく、精神的に完全だったのかといったら、そうではありません。先生も乗り越えるためにもがきが必要でした。
戦場から帰っても、当時のことが瞬間思い出されて、ブルブルと震えることもあったそうです。先生にも乗り越える過程がありました。しかし先生はそれでも、祈り、聖書を読み、神様を愛し、人々を愛してこられました。そして今日の摂理が生まれました。
今も、辛い環境にいらっしゃりながらも、御言葉を叫び伝えていらっしゃいます。
その生を実際に見たら、私たちは先生に対して何も言うことはできないでしょう。
誰がなんといっても、先生は今も神様を愛し、私たちを愛する生を生きていらっしゃいます。その事実は隠せません。
先生について、御言葉を聞いている摂理人でさえ、先生について完全に知る人はいません。
先生はひたすら神様。ひたすら御言葉。ひたすら仕えて愛する方です。