日常

学べるって幸せなこと。今備えるべき「条件」ってなんだろう


社会人になって、長い時間「学び」の時間がとれることってとても幸せなことだなと感じています。

もちろん仕事をしながら学ぶこともたくさんありますが、座学でしっかりと知識を養う時間があることもとても幸せなことです。

私は今ある時間をたくさん「学ぶ」機会にしています。そして将来を見据えて自分を「養う」機会にしています。お金はもちろんどんどんなくなりますが、神様が今、学ぶべきことを学べるように様々導いてくださっているのを感じています。

人は<次元>を上げるためには、必ず教育を受けないといけません。学ばなければなりません。 自分の水準には限界があります。一文字でも学んでこそ、一文字をもっと知る次元が高まります。(主日の御言葉「教育と次元」より)

私たちは何を学ぶ必要があるでしょうか。それは人それぞれ異なると思います。次元を上げるために今何を備えるべきか、一人ひとり立てるべき条件も違うと思います。でも共通しているのは、何かを成すためには必ず「条件」を備えることが必要です。鳥も飛ぶためには翼が必要ですし、飛ぶ訓練が必要です。人が食べるためにはお箸が必要ですし、お箸を持つ訓練が必要です。何かを得るためには「学ぶ」過程が必要になります。

各自が「願っているもの」をもらうためには、それに該当する<心、考え、行ない、状況、条件、環境>を備えなさい。(御言葉「神様が祝福してくださっても、「心と考えと行ない」を備えて「状況と条件と環境」を備えた人がもらうようになる。」より)

神様は最後に一番いいものを与えるとおっしゃいましたが、もう年末も近いですよね。今一番いいものを与えようと神様が準備してくださっているものがあるかもしれないのですが、私達が該当する「条件」を備えなければ、得ることができなくなります。それは非常に悔しい・・・。

でも自分は何を願っているのでしょうか。何を得ようとしているのでしょか。そのために何を備えるべきでしょうか。

人間は<自分の好み>どおりに生きていき、<自分の好み>どおりに食べて、着て、楽しみ、<自分の好みに合う人>と話し、その人を愛し、その人によって満足し、願いを叶えて生きます。

しかし<自分の好み>どおりに生きてみたら、保障がありません。<自分の好み>は不安定です。信じられません。なぜでしょうか?<考え>と<実体>とは違うからです。

ただ<神様と聖霊様と御子と一体になった好み>だけを信じることができるし、後悔しないし、肉体の一生の間好みの満足で、霊永遠まで好みの満足です。
また、時間が経てば経つほど理想世界を成し、次元を上げれば上げるほどもっとよい好みを選ぶようになり、それによって満足するようになります。(主日の御言葉「自分の好み」より)

何を備えるべきか、自分の好み通りに考えると、失敗しそうでそれも怖いですよね。だからといって何もしなければ神様の好みを知って生きることもできません。まずは神様について学ぶことから初めて、神様が何を自分に願われているのか、尋ねてみる必要があります。その上で、実際に何を学んで、備えていくのか、これは正直、何もしないでわかることも難しいことです。行いつつ学ぶことが必要です。

じっとしている人には御心が流れていってしまい、御心がない。
行う人に御心がある。

御心はその人が行うことを見て与える。
その仕事をやり遂げられる人、
主が願うことをしてあげられる人、
その生(せい)を見て、精神と行いを見て
該当する御心を着せ、選ぶ。

私達は今何を見て生きているでしょうか。今どこを見て、何を考え、何をして生きているでしょうか。私達が考えて行う、その土台の上に必ず聖三位は御心もって私達を導いてくださいます。

私も今、その土台を築いている最中ですが、希望を持って学び、今を感謝して生きていきたいと思います(^^)

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]