<種>は初めは「微弱」だが、後(あと)は「壮大」だ。
最近摂理で「種」に関する御言葉が出ました。それを聞きながら、私の頭の中にはある美術作品が浮かんできました。
「種まく人」という美術作品を知っていますか?フランスの画家、ジャン=フランソワ・ミレーによって描かれた作品です。小学校の美術室の奥にかけられていたのを今でもよく覚えています。
ミレーは種をまく農民を見ながら、マタイ13章、ヨハネ12章24節の聖句を題材にして描かれたと言われています。
12:24よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
ヨハネによる福音書12章24節
先生はおっしゃいましました。
<種>は地に蒔いて犠牲になりますが、その「種」によって数千、数万、数十万倍を刈り取るようになります。これが「種の栄光」です。
そうか、犠牲になって多くのものを刈りとるようにするのが「種の栄光」なのか。非常に考え深くなる一言でした。「種」は小さいですが、とても大きなことを成し遂げます。
種として代表的にあげられる存在は「イエス・キリスト」です。私たちの罪を背負って、重い十字架を背負っていかれました。
罪のない、完全に清い救い人が私たち一人一人の罪の代価を背負い、代わりに死なれたことを通して、結局救いの道が開かれました。それによって死んでいた私たちの「霊」が生きるようになりました。
そして今も、霊を生かす種のような御言葉が伝えられています。
1:23あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。
1:24「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。
しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。1:25これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。 ペテロ第一の手紙1章23節~
種のようなキリスト、種のような御言葉で生かされた、私の人生です。
これからの人生、どのように歩むでしょうか。
私も種のような心と行いを持てるようにがんばります。