(あらすじ)17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教 (信仰を捨てる事)したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは 日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。(公式HPより)
今月21日に遠藤周作の「沈黙」が映画化します。
原作を読んだことはありませんが、教会の先輩メンバーの方で、日本の殉教の歴史に詳しい方がいらっしゃって、私も少しだけお話を聞いたことがあります。
日本の江戸時代初期、あんな時代に、キリストを熱心に信じる人が日本の中にいたということに衝撃を受けました。
貧しく、弱くて、とっても肩身の狭い思いをしていたけれども、心はとっても熱く神様を信じていました。
馬に引きずり回されても、皮をはがされても、火にあぶられても、それでもキリストを信じ、愛した人々。
イエス様と同じように十字架につけられても、それでも途絶えずに代々受け継がれてきた信仰。
イエス様もそうでしたが、昔は容赦ないですよね・・・
残忍すぎる拷問で、堅い信仰心も崩れ、棄教する人もたくさんいたと聞きます。踏み絵は代表的ですよね。学生の頃授業で学んだ時は「へ〜」くらいにしか思いませんでしたが、正しく学んでから聞くと、他人事ではなく、とっても重みを感じます。
摂理で学んだひとつのことを思い出します。
そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。(マタイ26:39)
イエス様が祭司長たちに渡される前に祈られた場面です。(ゲツセマネの祈りと言います)
イエス様はどうして切実にこのような祈りをしたのでしょうか・・・?
イエス様ご自身が受ける苦痛を思って祈ったのではない。
自分がこの道に行くことで「ついてくる弟子たちも同じ十字架の苦痛の道を行かなければならない」から
この苦痛の道を退かせてほしいと、祈ったのです。
これからついてくる全ての愛する弟子たちのために祈られたのだと学びました。
結局使徒たちがどのような死に方をしたでしょうか・・・?
ペテロ、暴君ネロの迫害を受けてローマで殉教。
アンデレ、ギリシアの町でX型の十字架にかけられて殉教。
フィリポ、小アジアで石打の刑にされ、殉教。
シモン、ペルシアで鋸挽きで殉教。
タダイ、シモンとともに殉教。
マタイ、ペルシアの王女を入信させ、王の怒りを買って殺され殉教。
ナタナエル、インドへの伝道中、皮剥ぎの刑で殉教。
トマス、バラモン教徒によって殺され殉教。
小ヤコブ、エルサレムの神殿の屋根から落とされ殉教。
ヤコブ、ヘロデ・アグリッパによって斬首され殉教。
弟子たちの中で唯一殉教しなかったのはヨハネだけだと言われています。
このようにしてほとんどの人たちがイエス様の後を継いで、殉教するようになりました。
日本でも同じように、多くの人たちが殉教していきました。
そんなに激しい拷問と苦痛を受けながら、それでも信じ続けたのはどうしてなのでしょう・・・?
神様の絶対的な真理、そしてイエス様を通して見せてくださった情熱的な天の愛。
観る方々に熱い神様の心情が感じられるようにお祈りしています・・・!
個人的に・・・2017年のはじめにこの映画が上映されることにも、御心を感じています(T_T)
使徒の歴史、その熱い心情を私も抱いていきます・・・!