今日礼拝の前に、
「あれ?もしかしてこれは、啓示かな?」と思う場面がありました。
そのとき、私は礼拝に伝えられる御言葉の、聖書の本文を読んでいました。
詩編19章3~4 節
『話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。』
ヨハネ10章35節
『神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)』
今日は「言葉」について語られるのかな?と思いました。
行く前に7回は読もうと思って、駅に向かう道中、本文を何度も頭に反芻させていました。
それで、電車に乗っていつも座る位置に向かって座っていたところ、
こんな場面に出くわしたのでした。
以下は私がその場で記録した内容です。
(私の目の前の席に)外人さんと、日本人2人がいました。
外人さんと真ん中の日本人は英語で話していました。その日本人は英語が堪能でした。
端にいた日本人は、日本語しか話せませんでした。だから二人に交流しようとしても、真ん中を通さないと通じません。
真ん中の日本人は日本語で聞いたものをいつも英語で話していました。
だから日本人の人も理解してあげながら、外人の人も理解してあげました。
真ん中の人がいなければ、端にいた外人さんと端にいた日本人はお互いに理解することができませんでした。
地上では言葉の壁があります。
天と地には言葉の壁はありません。それぞれの母国語で天に話し掛けても通じるからです。
ですが、通訳は必要です。
天の言葉は聞こえないからです。だから天の言葉がわかる使命者が翻訳してくれます。
それでようやっと天が本当に話したかったこと、聞いていたこと、どう思っていたのかまで詳細に分かるようになります。
今日の主日の本文は「神様の言葉」について書かれています。
神様の言葉は話すことなく語ることなく耳にも聞こえないのに、全地に響き渡る。この言葉を聞いた者は神々と言われる。
(もしかしてこれは)何かの啓示でしょうか?
その後普段通り礼拝に向かいました。
もしかして今日の御言葉で答えがあるかもしれない(‘ω’)!そう思いました。
そして伝えられた御言葉がこうでした。
今日は、「言葉」について御言葉を伝えます。
( ゚Д゚)
神様は<万物>を「文字」や「言葉」として使って話され、悟らせると学びました。
<万物>を「言語」として使えば、英語より千倍も良い、世界の共通語を学ぶことです。
<万物の文字>は「地球世界の全ての国の共通語」です。
数十か国の人たちが集まっていても、互いに「言語」が異なるので通じませんが、神様は一瞬にして「雲一つ」を見せ、
皆が読んで悟るようになさいます。
すると「通訳」も「言葉」も必要がありません。見ればすぐに悟れるからです。
摂理史でも<天の言語、万物の文字がよく読める人>が、その面での博士です。
その人が「神様の言語」を世界数十か国に同時に通訳してあげることができる人です。
内容が・・・・英語とか通訳とか・・・・
どんぴしゃじゃないですか(*‘∀‘)!!
私が見た場面では、真ん中の日本人が、隣の日本人の言葉をすぐに英語に翻訳して外人さんに伝えていました。その場面を見て麦わらさんは、「わあ、英語に堪能な方だな」「あの人がいないとお互い通じあえないな」「通訳が必要だな」と感じました。そして真ん中の日本人はとっても得意げな顔をしていました!
ところで御言葉では天の言語を学べば世界共通語だから、天の言語を学ぼうとおっしゃいました。
神様は言葉で語られるのではなく「万物」や「状況」「環境」を通して人間に対してお答えになるのだとおっしゃいました。
人間が天の言語をちゃんと学びさえするならば、神様が何を今自分に伝えたいのか、万物を見たらわかるようになります。
・・・ところで、わたしが状況を通して天の言語を垣間見るようになりましたが、これは礼拝の御言葉の前準備として十分すぎるものでした。
私が学ばなければいけないものは、「天の言語」!!
その言葉を理解するならば、天にいらっしゃる神様とも通じることができるし、地上の状況環境、人とも通じ、今何をするべきか、どんな状況なのか知ることができるようになります。
外人さんと日本人を通して、これと同じくこうだとおっしゃっているように感じました。
この御言葉の核心はさらに深くて重要な御言葉なのですが、ここには書きません!笑
ただ、このように聖三位は私たちに生活の中で、語り掛けてくださり、状況を悟らせ伝えたいことがあるのだなということを改めてひしひしと感じたのでした。
もう一度ちゃんと天の言語を学びます!!!そして得意げな顔(心)でいつも神様と疎通できるようになりたいです(^^)♡