信仰のもがき

間違っていることを気づかせてくださる神様の深い愛


最近朝がとても不調になってしまい、今日は久しぶりに少し早めに起きることができました。
昨日は今年一番の不調を迎え、二度寝はおろか、三度寝、四度寝をして、気が付いたら11時になっていました。

さすがの麦わらさんも

「死んでる自分」と自虐する有様。

久しぶりに今日は起きれたので、約束の時間には遅れていますが、お祈りをしました。

そして御言葉を聞きましたが、なんとまあ胸に刺さる御言葉だったのかというと、
読んでいただければわかります。

<眠りから目を覚まして一度に起きる人>は、ちょうど「物を一度に持ち上げる人」と同じだ。

<眠りから覚めて起きようとして眠りにつき、もう一度起きる人>は、ちょうど「物を持ち上げかけて持ち上げきれず、二度目に運んでいく人」と同じだ。

眠りから覚めても、「睡眠の状態」にいたので、瞬間起きられない。その時が「最高に楽な状態」だ。

信仰も「居眠りをする状態、睡眠の状態」にいる時、最高に楽だ。その状態が楽だからじっとしている。この時誰かが起こしてあげ、引っ張ってあげなければ、その状態で一定の期間が過ぎる。

<睡眠状態>は楽だが、何も得るものがない。だから目を覚ませず、続けてその状態でいたら、損ばかりをする。

 

全部アーメン

 

睡眠の状態が「最高に楽な状態」とは、笑えるほど適切な表現です。
私は本当に気力もなく、ぼーーーっとしてしまいました。
それで、この御言葉を聞いて、さらに私は胸に刺さる気持ちで、「はあ」とため息をつくのでした。

そして祈りました。

どうして起きれないのでしょう。
また、御言葉から力を受けることができずにため息をつくなんて、どうしたらよいでしょう。

そう思っていると、ふと聖霊様が私に気づかせてくださいました。

聖霊様「昨日、あなた頑固な汚れについて記事を書いたね」

麦「はい」(こちらが昨日の記事です)

聖霊様「頑固な汚れはそのままにしていたら威張り散らすようになるし、その汚れの状態で苦痛を受け続けるようになるって書いたね」

麦「はい(昨日の記事、私の中ではしぼりだすように書いた、結構たいしたことのない記事だったのに、なんでこんなに思い出すんだろう)」

麦「頑固な汚れを落とさないと、その位置にいることが当然だというように威張り散らすようになると書きました。そして周りがひそひそと話しているのに関わらず、自分が正しいと主張するようになります」

聖霊様「そうだ。だから気づかせてあげることが愛だ」

麦 (´・ω・)

 

そっか・・・。

 

気づかせてくださる愛

教えてくださる愛

間違っていることを続けて教えて刺激してくださるから、
頑固な汚れを落とすことができるのです。

もし誰も教えてくださらなければ、汚れがずっとついたまんまで、
その汚れによって結局自分が苦痛を受けるようになる。

だから、絶え間なく聖霊様は教えてくださるのだな。

お祈りする中で、教えていただきました。(号泣)

だから、たまに御言葉でぐさってくるものあると思うのですが、でも、それが大きな愛なのです。
「気づかせてくださる愛」です。
気づけるから人は直そうと思うし、もう一度立て直そうと向き合えるのです。
最初の私みたいに、ずーんと落ち込むことはあるかもしれませんが、考え方を変えてみたら、
今の自分にぴったりの御言葉。

つまり、聖霊様が関心をもって私に気づいて立て直せるように愛で教えてくださっているということ。

だから、感謝します。

ああ本当に、感謝できないくらいつらいとき、憂鬱なときでも
大丈夫。

結局神様は、そんな自分に合わせてふさわしく語りかけてくださるのだ。

それが天との経緯になるから、

浮き沈みが激しくても、大丈夫。

その信仰さえ天に向いているなら、必ず風向きが変わって、
あちらの方向、こちらの方向で悟らせてくださる。

気づけることに感謝します。

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ABOUT ME
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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]