一日の中でいろんな考えをするのですが、正直、目的が定まっていない宙ぶらりんな考えってすごく多いなと思います。
私は教会の使命を大きくは5〜6つ、仕事を含め、細かいことを含めると10くらいのことをやっていることに気が付きました・・・。しかしこうなると、一つのセンテンスでちゃんとじっくり考えることが難しくなってきています。あれが思い浮かんだと思ったら、これが思い浮かんで、どうしようかなあと思ったら次はこのことを考えている。
そんな風にしていると、ときどき何を考えてるんだ私!!と自分でノリツッコミしてしまいます。
主にも対話しようと思うと、1つのことの対話の時間が約5秒で、あ!他にもですね、あ!これはですねとどんどん話す内容が変わってしまうから、主も目が回っていることだと思います・・・^^;
私の良いところは、まんべんなくこなすことができることなんですけれども、逆にこれ!という一つのことのクオリティは中の中くらいなことが多いです。別に悪くはないんですが、一つのことにもっと感動を受けて、もっと発展させて取り組むということは、容易ではないなあと感じます。
あ、でも、楽しいんですけどね^^
私の個性の一つだと思うので、それは良いのですが、逆に「考えが散漫になる」ことが多いです。生活の中で自分が何を考えたのか数え上げると1000くらいあるんじゃないかなと思うくらい、日々考えがあっちこっちに行って、考えが疲弊してきます。(そういうときは考えの「無」の時間を作ります笑)
さて、先生はおっしゃいました。
目的をもって考えを
集中して行ないなさい
<目的>をもって考えを集中して行なわなければ、ほかの考えをするようになり、
考えがおぼろげになって、目的どおりに行なえなくて、無に消える。
<目的としたこと>に考えを集中して、口で話しながら集中しなければならない。
そうすると、<目的としたことに該当する考え>が次元高く、深く浮かんでくる。(摂理の御言葉より)
これを引用しながら、ほんとに、「口で話すとき、どれほど集中力が高まるのか」実感しますね。
考えだけで集中しようとすると、すごく弱く感じます。
正直、目に見えるもの、耳に聞こえるものの方がとても強く引っ張っていきますから、考えはすぐそれにつられてしまうのですよね。
でも、「口で話す」と、一気に考えを掴むことができる気がするのです。
それくらい「口で話すこと」「言葉の力」というのは大きなことなのだなと感じます。
<脳>は「手」と同じだ。 <手>をもってどんどん仕事をしたら、いろいろなものを得る。
<手>で絵を描いたら絵を得、<手>で文章を書いたら文章を得、<手>で作品を作ったら作品を得る。
<脳>もしきりに考えることで得る。 <目で見たこと、耳で聞いたこと>をもってしきりに考えて分別し、
<目的としたこと>のために考えを集中して霊の世界に行って、「神様の考え」をもらって行ないなさい。
脳の特性は「考えること」ですが、考えることが、まるで手で行って得るようなことなのだと、非常にわかりやすく先生が教えてくださいました。
そして「鋭利に集中」してこそ、より判断力が優れて、分別するようになるともおっしゃいました。
脳の傾向をこれほどまでに解いて教えてくださるので、私も自分の脳を観察してみるのですが、なかなかまだ治めきれていないことを感じます・・・。
脳という無限な能力「=考え」をくださったから、目的を定めて集中して考えることで、必ず得るべきことを得て、行うべきことを実践していきたいです・・・!