ミコトバ

神様に告げて委ねることができる祝福 〜瞬間考えられるのは「一つ」だけ〜


会社に通うと、本当に神様の存在に感謝だなあって思います。

何よりも神様に委ねることができるという祝福ってほんとう〜〜〜に大きいなって感じたのです。

だってだって、

人間の頭は<一つ>だから、

脳みそも<一つ>だし、

考えることも<一つ>しかできないからです!

以前先生が御言葉でおっしゃったのですが、人間が考えられることはまるで「片手で握るものが一つしか握れないように」その瞬間考えられることは「たったの一つ」なのです。(たしかそんなような表現でした)

帰りの電車の中で私は「今何を考えるべきか」について考えていました。というのは、今この瞬間

<仕事>のことを考えることができれば、<夕飯>のことも考えることもできるし

<心配事>について考えることもできれば、<どうやったら神様を愛せるか>について考えることもできるからです。

でもこの瞬間考えることができるのは、多くあるうちの<たったの一つ>なのです。

だから私は「今何を考えるべきか」について吟味します。それで自分がわざわざ考えなくたっていいやつは、神様にお願いしてしまうのです。特に心配事、悩み事って、すぐに脳の9割を占めてしまうでしょう?私は何かある度に、考えが心配事、悩み事で縛られてしまうから、本当に自分の考えって限界があるなあと感じます。だから、その当たりについては、神様に告げてお願いをします。

「これこれこのことについて心配しています。どうか状況が良くなりますように」

さて、極めて純粋に頼まれた仕事をこなす麦わらさんですが、先輩からは私の働き方は「異例だ」とよく聞きます。というのは、普通営業に配属されたらひたすら営業をするのが基本的な教育体制なのですが、私の場合、営業と異なるもう一つの仕事を「並行」してやっているからでした。

それで「こんな風に研修をしているのは今までかつてないことなんだ!無謀だと思うよ。麦わらさんキャパ大丈夫?」と心配されています^^;笑

私は正直、頼まれた仕事を学んだ通りにこなすので、すごーく負担かというとそうではないのですが、まだ容量が掴めないこともあったり、学んでいないことを頼まれたりしたときには焦ります。教えてくれ〜って思います^^;笑

でもその辺りの心配については、あまりしないようにしています。ただ神様に告げています。個人的な部分ではそうすればよいのですが、一番気にかけてくださっている先輩と、任せてくる先輩とが少しぶつかりそうな瞬間があって、それが一番焦りました。

「やめて〜平和でいこう〜〜大丈夫ですから〜〜」と心で叫びました。が、それについても神様にお祈りしました。(しかし本当にその先輩がいてくださることでたくさん助けられています。その人にも人を通して守って下さる神様にも感謝します(´;ω;`))

それで、電車の中でこのことをまた頭で考えそうになったのですが、やめました。仕事が終わった瞬間までも、このことについて心配する必要がないからです。仕事が終わったなら、次のことを考えないといけません。私の考えが、行いになるから、どんなことを考えて今を生きるべきか・・・するべきことをやらなければいけません。

だから神様に委ねることができるって本当にものすごい祝福だと思います。神様を知らなかった頃はそうはできなかったです。自分一人だけだったから、仕事に関しても絶対に負担に感じていただろうし、一つの悩みを一日二日三日と繰り返し毎日考えていたでしょう。でもその不安と心配を考えたところで何も前に進まないのです。

でも神様を知っていると、解決する方法がたくさんあります!

たとえ私が社会から追放されたとしても、私は神様の懐に入ることができるから、それで安心なのです。だから神様を知っているってとても嬉しいしありがたいことだなって感じます。

いらぬ心配はしないで、心を神様に委ねて毎日を感謝して生きていきたいです^^

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]