<泉の場所>を掘りかえしてなくしたら、
「流れる水」も「泉」もなくなる。
そうすると後世は元々「泉」がないと思う。
<月明洞>を見なさい。
泉の水源をそのままとらえて「薬水の泉」を作り、
山の流れと自然の姿をそのままとらえて開発した。
神様の構想だ。
個人単位、家庭単位、
民族単位も、
<人を作る時>も、<環境を作る時>も、
このように作りなさい。
そうしてこそ、当世から後世まで美人を見るように喜んで見て、
ご馳走を食べるようにおいしく食べて、楽しんで宴会をする。
愚かなやり方で開発をする人たちは、
個人・家庭・民族単位で、<人を作る時>も<環境を作る時>も、
「鼻の穴」が小さいと言って、
「口」のように大きく裂いて開発する。
それで「人生の作品、環境の作品」を駄目にする。
神様が創造なさった<自分自身>も<万物>も間違って手をつけ、
間違って作って、間違って開発をしたら、
10億のものが1万ウォンのものになるのだ。
(鄭明析先生の御言葉より)
朝から麦わらさんはとても感動しました。
このような御言葉を聞けることが、とっても感激だったのです。
神様が本来くださった個性や環境を、やたらめったら手をつけてはいけないんだなって思いました。
これってすごく大切なことですよね。
<天然の洞窟>があるとしましょう。
でも人が通るには狭いから、人為的に広げようダイナマイトで爆発させました。
そのようにすると<天然の洞窟>の良さは消えてなくなりますよね。
神様が、数十億年、数百億年前に火で溶かして、狭く広く自然の法則で作っておいた貴重な洞窟
本来ならばその貴重な形象を残しながらつくるのがいいけれども、
ダイナマイトで全部なくして、「トンネル」のように作ってしまう。
そのように自分に対してしていなかったでしょうか。
誰かに対してしていなかったでしょうか。
私は摂理に来る前、自分の存在が貴重だなんて考えたことがありませんでした。むしろどうして自分はいつもこうなのかと自暴自棄する毎日でした。だから、自分なんてまったく新しく違う人物になったらいいのに、なんて思ったこともありました。
でもこの考え方は、もともとある天然の自分の個性や外見をすべて否定して、ダイナマイトで爆発させて新しくしようとする考えとそんなに変わらないことなんだなって思いました。
ダイナマイトで爆発させたら、たしかにまっさらで何もなくなるでしょう。そして本来持っているものまで消してしまいます。
それって本当に怖いことですよね。それで人為的に手を加えて美しくしようとしたり、使いやすいようにしたり、その人好みにつくろうとしたりしますが・・・出来上がったものは、まるでコンクリートで固めたトンネルのようになってしまいます。
きれいな顔、モデルのような顔を求めて整形する方もいらっしゃるかもしれません。
でも、もともと持っている顔の一部を変えたら、どこかちぐはぐとした感じになってしまうんだなあって、昔テレビを見ながら思いました。悪いとかいいとかそういう話ではなくて、やっぱりどこか不自然なんだなあって思いました。
私は摂理に来て分かるようになりました。
生まれたときから持っている自分の姿が、一番素敵なんだなって。
神様が私だけにくださった顔形です。誰も持っていない自分だから、昔は人と比べていたけれども、今はまったく比べなくなりました。むしろ自分のことが好きになって自撮りなんてし始めたくらいです笑
テレビでは、美しい人、かわいい人がスーパースターのような存在で取り上げられたりしますが、私はそれが不自然に思うことがありました。だから、摂理で神様について知って、自分について知れて本当に良かったなと思っています。
先生は御言葉でいつも、本当に大切なことに気づかせてくださいました。
今は、もともと持っているものを輝かせながら、さらに素晴らしく自分をつくって磨いていけるから、とても希望的です。
このような御言葉を聞けることに、改めて感謝を捧げた麦わらさんでした。