「知恵の王ソロモン」の後半として今回は、
・エルサレム神殿の建築
・ソロモンの惜しいところ
を扱ってみたいと思います。
ソロモンの偉業〜エルサレム神殿建築〜
聖書には「エルサレム神殿」という記述ではなく<主の宮>と書かれています。
「神様と一緒に会って話せるそういう場所、聖殿を建てたい」
そう強く願っていたのは、ソロモンの父「ダビデ」です。
ここでダビデが息子ソロモンに語っている部分があります^_^
ダビデ「わが子よ、わたしはわが神、主の名のために家を建てようと志していた。
ところが主の言葉がわたしに臨んで言われた、
『おまえは多くの血を流し、大いなる戦争をした。おまえはわたしの前で多くの血を地に流したから、わが名のために家を建ててはならない。見よ、男の子がおまえに生れる。彼は平和の人である。わたしは彼に平安を与えて、周囲のもろもろの敵に煩わされないようにしよう。彼の名はソロモンと呼ばれ、彼の世にわたしはイスラエルに平安と静穏とを与える。 彼はわが名のために家を建てるであろう。(略)それでわが子よ、どうか主があなたと共にいまし、あなたを栄えさせて、主があなたについて言われたように、あなたの神、主の家を建てさせてくださるように。ただ、どうか主があなたに分別と知恵を賜い、あなたをイスラエルの上に立たせられるとき、あなたの神、主の律法を、あなたに守らせてくださるように。・・・(歴代志上22:1〜12)
ダビデの生涯は、ひたすら戦争、戦争、戦争でした。
ダビデは戦争続きで、宮を建てる暇がありませんでした。また、『おまえは多くの血を流し、大いなる戦争をした。おまえはわたしの前で多くの血を地に流したから、わが名のために家を建ててはならない。』
とあるように、神様が住まわれる清い聖殿を建てるためには、<条件>が必要でした。
だから血を流さなかった息子のソロモンを通して建築されました。完工までに架かった年数は「7年」と言われています。
480年ぶりとは?
ところで、主の宮の建築についてこう書かれています。
イスラエルの人々がエジプトの地を出て後四百八十年、ソロモンがイスラエルの王となって第四年のジフの月すなわち二月に、ソロモンは主のために宮を建てることを始めた。(列王紀上6:1)
この480年というのは「エジプトの地を出て」とあります。当初の記述はこちら。
しかし、あなたがたがヨルダンを渡り、あなたがたの神、主が嗣業として賜わる地に住むようになり、さらに主があなたがたの周囲の敵をことごとく除いて、安息を与え、あなたがたが安らかに住むようになる時、あなたがたの神、主はその名を置くために、一つの場所を選ばれるであろう。(略)…ただあなたの部族の一つのうちに、主が選ばれるその場所で、燔祭をささげ、またわたしが命じるすべての事をしなければならない。(申命記2:10〜14抜粋)
申命記というと、神様が語られた言葉をモーセがイスラエルの人たちに向かって告げている場面。ちょうどその頃が「エジプトの地を出た」時にあたります。それから480年経って、神様の語られた言葉を成就することになったんですね・・・!
また調べると、歴史的にもこの数字はピッタリと当てはまるとのことです。
480年というのはモーセの40年、ヨシュア17年、士師299年、エリ40年、サムエルとサウルが40年、ダビデ40年、ソロモンが王になってから4年の歴史を合わせた年月であり、聖書の記述が確かな歴史的事実であることを私たちは知る事ができます。
またモーセの時代からダビデの時代に至るまで480年間も続いた幕屋礼拝の終結と共にエルサレムを中心とするイスラエルの地における新しい定着を意味する最も意味ある出来事です。(日本ナザレン教団 赤坂教会より)
このようにして、歴史的にも最高に願っていたことが成就した瞬間でもありました。
ソロモンの惜しいところ
聖殿を建築するところまでは、本当にハレルヤな偉業を成し遂げてきたソロモンだったのですが、最後にソロモンは「なんでそうしたの〜!」と突っ込みたくなる失敗をしてしまいます。
まず、ソロモンは聖殿建築完成後、神様にお祈りしています。ざっくり話すと「この宮で祈ることを(これからも何があっても)聞いて下さい!」というお祈りでした。(列王記上8章)
そのあと神様から返事がありました。
「あなたがもし、あなたの父ダビデが歩んだように全き心をもって正しくわたしの前に歩み、すべてわたしが命じたようにおこなって、わたしの定めと、おきてとを守るならば、わたしは、あなたの父ダビデに約束して『イスラエルの王位にのぼる人があなたに欠けることはないであろう』と言ったように、あなたのイスラエルに王たる位をながく確保するであろう。 」
「しかし、あなたがた、またはあなたがたの子孫がそむいてわたしに従わず、わたしがあなたがたの前に置いた戒めと定めとを守らず、他の神々に行って、それに仕え、それを拝むならば、 わたしはイスラエルを、わたしが与えた地のおもてから断つであろう。」(列王記上9章抜粋)
神様はこのように、<守った場合>と、<守れなかった場合>の条件を明確に伝えていました。
なぜならこれまでもずっとイスラエルの民たちが、神様の戒めを守らず、他の神々に行って拝んでしまい、神様の胸を痛めることが続いていたからです。
だから、ソロモンが成した行いと祈りを、どれほど神様も嬉しかったでしょうか。続けて守るならば、ありあまるほどの祝福を代々注ぎかけてこられたと思います。
しかし、最後の最後、列王記上11章を読んでみるとこうあります。
11:1ソロモン王は多くの外国の女を愛した。
あ。
11:2主はかつてこれらの国民について、イスラエルの人々に言われた、
「あなたがたは彼らと交わってはならない。彼らもまたあなたがたと交わってはならない。彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせるからである」。
(うんうん。それに従って!)
しかしソロモンは彼らを愛して離れなかった。
あかーーん!!
11:3彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。 11:4ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。 (略)
11:9このようにソロモンの心が転じて、イスラエルの神、主を離れたため、主は彼を怒られた。
聖書にある記述では、
シドンびとの女神アシタロテ
アンモンびとの神である憎むべき者ミルコム
モアブの神である憎むべき者ケモシ
を拝み、
さらにアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いてしまい、
妻たちもその神々に崇拝しています。
当然、ソロモンと妻たちだけではありません。
もうごっちゃごっちゃです。
モーセの時から神様は、自分以外の神を愛するなとおっしゃっていたのに、本当にどうしてこんなにもいろんな神々につかえてしまうのかと、知恵の王がどうしてこのようなことをしてしまったのかとため息が出てしまいます(T_T)
やはり女性(異性)の存在は、どんなに知恵深く神様一筋の心を持っていても、その心を転じさせるほどの強烈な力があることを認めるしかありません。だから、過程の中で良くても悪くても「最後まで!!」神様に従い、御言葉に従って生きることが、本当に最高の祝福を受ける方法だと感じるしかありません(T_T)
そんなこんなで、ソロモン編はお開き〜!