罪を犯すと書いて「犯罪」といいますが、あまり聞きたい言葉ではありませんよね。
好きで罪を犯す人はいないと思うのですが、それでも犯してしまう原因は何でしょうか?
血気をおさえられなかった・・・・腹が立ったとか、嫉妬、ねたみ、高慢さ、そういう憎悪(悪い心)から発展してきます。
あと、もうひとつ知るべき恐ろしい原因は
知らなかった・・・つまり「無知」によって犯罪を犯すこともあります。
どちらも私たちにありえそうな原因ですよね。そこが怖いところです。
著作権法についてどこまで認知しているでしょうか?
インターネット、動画投稿サイトやSNSが盛んなこの時代こそ、「著作権法」に無知でいると、いつの間にか「犯罪」を犯している可能性があります。私は図書館司書の資格を得るまでに、この「著作権法」について耳が痛くなるほど学びました。あまりにも身近な話なので、知らないと、知らず知らずの間に罪を犯していてもおかしくない法律だと思いました。
神様がまずはじめに人間に与えたものが「律法」でした。人間が罪を犯さないように、また、罪とは何か分からせるために、律法は必須でした。
人間の法律は目に見えて「犯した」「犯してない」ということが分かります。しかし、神様の法は知らないと、人生を生きる上で本当にたくさん、知らずに損をします。
金を探すためには、金脈をたどって法則通りにやってこそ金を見つけられるように、知らなければやってもやっても金を探り当てることはできません。労力的にも時間的にも損です。
生物も法則通りに管理しなければ、腐ったり、死んだりします。知らなければ命を失うのだから、ものすごい損ですよね。
この世界は神様が創造された法則にしたがって運営されています。
「そんなことないよ!」と言えるのはまだ学んでいない子供だけです。
もしこの世に法則がないとしたらどうでしょう。氷が真夏の太陽に当てても溶けないという現象が起こるかもしれません。ありえませんよね。
律法(法則)から外れて行えば「犯罪」になります。そして、神様の法則から外れたら「罪人」になります。これは理にかなった話であり、私たちが最高に直面している大きな問題です。
だからこそ私たちは、「何が罪であるのか」学ばなければなりません。そうしないと、いつまでたっても「何が原因か分からないけど苦しい」という現象が起こります。原因があるから「苦しい」のであって、幸せな人は幸せな生き方(法則)を知っているから幸せなのです。
知らなければ、実は自分も「犯罪を犯していた」当事者になりかねません。知らなくて著作権法を犯してみてください。莫大な賠償金を払わされることになります。無知とはこれほどにも恐ろしいことなのです。
人間の法律も、神様の法律も学んで、霊肉清く正しい道に行って幸せに生きることを神様は願っています。そのためにふさわしい人を通して御言葉をくださったのです!何事も正しく学んで、正しく生きなければですね(*^_^*)!