人はおもてに出して批判したり、あからさまに傷つけたりはしないけれども、心の中ではいろんな考えが渦巻いているものです。
そして、ある瞬間、それが出てきます。
私は最近、人を「立場」で判断する人を見ました。人を「おいおい!」と呼び、雑に扱う姿を見ました。
私はその姿に腹が立って、どうして同じ人間なのにそのようにするのだろうかと、言いたくなりました。
また、極端に誇張し、ダメだと言い、叱る姿に、胸が痛くなりました。
お前も何様だ!と言いたくなる心を抑え、先生を考えました。
先生は、どうやってこのような言葉を乗り越えてきたのだろう?
相手は腹が立つと「お前!」と言い、「黙ってろ!」とねじ伏せる言葉を浴びせます。
それでも先生は赦す心で、祈ってくださいました。
私には到底、できないように思いましたが、先生はいつも柔和な心で包み、すべてを赦そうとしました。
私が先生に出会わなければ、もうムシャクシャして、その理不尽さに耐えられなかったと思います。
でも、先生に出会ったから、今は少しだけ、そのような人のためにも祈れるようになりました。
でも、まだほんの少しです。
私たちは隣の人の間違いを自分の間違えだと指摘されても「そうではない!」と言い返したくなります。
ある人は自分の間違いなのに認めず「お前がこうしていれば!」と言います。
先生は確かに、多くの間違いをすべて背負ってくださいました。
私の間違いも背負ってくださいました。
だから、本当に希望でした。
そのような方一人でも、この世界に存在することが、本当に嬉しく、希望でした。
そして何度も摂理に来て良かったと、告白したいです。
少しずつ少しずつ、私も、綺麗な心につくれるようにがんばります。