ミコトバ

食べ物を「食べ物」としか見れない私たち【摂理の味】


何でも表面的に見てしまう問題

ふと、昼食を食べてて
ある講演会で話していた内容が
思い浮かびました。
「ハンターは野蛮だと思っていたけど
そうではなかったんだ。」

ハンターの相手は、「自然」
いつも自然の厳粛さと向き合い
命と命の間で生死をともにする仕事です。

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私たちが当たり前のように食べている卵。

その卵がそのまま成長したら雛が誕生しますね。
しかし普段私たちには白と黄色の食べ物として目にうつり
よだれが垂れます。

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牛肉。
生きている命でした。
大きくなるまで飼育されて、広い草原で生きている命でした。

しかし私たちはもう、
目の前に料理された「お肉」としか認識しません。
スーパーでパック詰めされた姿ばかりが、
本来の姿であったかのように思います。

それで昼食を食べてふと

食べ物をただ、食べ物だと思って食べることと、
人生を表面的に生きることの違いは、ないのだな

と思ったのです。

「ノリ」の関係性

私たちはどんどん表面化しています。
表面に見えるものばかりを重視して生きています。
目の前にいる人間を
ただ「ひとりの人間」としか見れないこともそうだと思います。
その人の家族、親族、友人、その人の価値を考えないまま、
感情で接して、感情でぶつかり、
感情で判断しあっています。
最近は言葉で判断します。
耳に聞こえる「言葉」目に見える「言葉」だけで、
憎しみが生まれ、殺人まで犯します。

高校生で摂理に来た子が話していました。
仲の良い友人同士で恋愛話をしていたそうですが、トークが盛り上がるその瞬間、
思ったそうです。

「怖い。この人たちノリだ」

私もこの話を聞いて「ああ」と
深いため息をつきました。
「ノリ」で関係を持ち
「ノリ」で過ごす毎日を
私たちは繰り返しているのだと
よくわかったからです。
ある日食べ物を食べてすぐ忘れるように
「ノリ」の関係はすぐに忘れてなくなります。
そのようにしていたら
人間はどんどん「考えること」をしなくなり
「ノリ」の繋がりによって
「心の寂しさ」がどんどん生まれていきます。
SNSなどによってその心を満たそうと思っても
「軽い」「ノリ」の繋がりがほとんどだから、
むしろ「寂しさ」は増幅するばかりなのです。


「人間は「考えと行動」によって運命が変わる」

鄭明析(チョンミョンソク)先生は教えてくださいました。

どんな考えを持って人生を生き、
どんな行動によって人生を生きるのかによって、
「ノリ」の人生、「表面的」な人生
「深い」人生、「完成した」人生
がつくられます。

人間にはがあるから、
本当に現代をよく見て分析しなければなりません。
現代が大きすぎれば「自分」をよく見て
考えなければなりません。

そうすれば、
今、起こっているすべての問題の根本が
「どこ」から来ているのか、分かるようになると思います。

御言葉を聞いている私だとしても、表面化する現代社会に飲み込まれて、
表面的な冷たい感情、怒りの感情高慢な感情が
瞬間心をついて出てきそうになります。

本質を見てこそ、本来の価値を取り戻すことができるから、
私たち、もっと新しく変化して、
伝えていかなければならないのだなと思う、今日この頃です。
(  ̄_ ̄)

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]