日常

力がない時こそ、”誰を”呼ぶのか


最近、私の周りで、落ち込む人をよく見る気がする。

しかし、私は気づかないことが多い・・・←

その人がどういう気持ちでいるのか、
普段話をしていないからわからないし、
話していても、瞬間の気持ちの変化に気づくことは難しい。

そういう時、いつもこう思う。

「やはり、人間だけでは、
生きていけないなあ」

私はあまり自分から自分の話はしない。
というのは、家庭環境の影響があったからかもしれない。

だから今も、摂理で信仰を守りながら、
人に相談することが苦手だ^^;

誰かに聞いてもらうよりも、
私が誰かの話を聞いてあげたいと思ってしまうのだ。
それは、自分が聞いてもらった時、楽になったから。

でも自分はそれ(相談)をしないのは、いろいろ理由があるけれども、
やはり思うのは、
根本的には神様が共にしてこそ解ける、と思うからなのかなあ。
(でも神様に話しまくっても限界が来たらヘルプ出しますめちゃくちゃ笑)

神様だけが、人々の心の内側をすべてわかる。
どんなに親しい人がいたとしても、数分後にはどう心が変わっているのかもわからない。

状況は変わるし、環境も変化するし、
見て聞いて刺激を受けたら、考えも変わる・・・。

本当に人はコロコロ変わる。
でも思う。
人はそうやって刺激を受け合いながら成長していくんだなって。

だから最近私は、相手をつい怒らせてしまったとしても、
(もちろんめちゃ謝るのだけれども)そんなに相手の顔ばかり伺わない。

互いに成長だ、と思っている。

相手に怒られると、すごく萎縮はしちゃいますけども・・・笑

でも、互いに成長なんだって思うんだな。
生きている限り、誰も完璧な人はいないし、自分が正しいというわけでもない。
幼い子供からだって学ぶことがたくさんあるのに、
大人になったからといって、全てが上手くできるわけではない。

時間が経てば、できることもあるけれども、
できなくなることだって増える。

体調のこと、年齢のこと、思うとおりに動かなくなる体と心に、
行き詰まることもある。

それが、自分を否定することには絶対に繋がらない。
でも、繋げて否定してしまう人は多いかもしれない。

私の場合・・・失敗したら、
まず神様に「すみませんでした」と報告します笑
そして「自分、やらかしました・・・ああ、神様、どうか、がんばりますので、
現状が良くなるように共にしてほしいです・・・」

仕事では何度もヒヤヒヤする場面に遭ったけれども、
大体このパターンで乗り越えてきた笑

やはり神様が共にされると、ギリギリだとしても守ってくださるのだという哲学を
仕事を通して学んだかもしれない。

あとは・・・
自分の弱さが見えた時、誰かと比較してしまった時、
そういう時は、自己嫌悪してしまうと泥沼だから、やはり神様に打ち明ける笑

「神様、さきほどこのように思ってしまいました。本当に、落ち込みました。すみません。でも、そう思っちゃったんです。そう思いたくなくても、思っちゃったんです」

そう話していると、自然と涙が出てきて、切実な祈りが出てきます・・・←

でも、そうやって乗り越えた時の方が、ものすごい力が出るんですよね笑
やはり思うのです。
神様と共に乗り越えてきた”経緯”が宝だなって。

私は力がない時、必ず神様を呼んじゃいます。

神様に頼った分、恐ろしい程強い力で、状況も心境もぐるりと変えてくださるのだから、
やはり神様が最高の答えでいらっしゃるなって思う。

今日もこんな記事を書きながら、一層神様にゾッコンになってしまった笑

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう


ABOUT ME
アバター画像
麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]