神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。(伝道の書3章11節)
前半、永遠を慕う心は「霊の気持ち」と聞かされたオヤビン、コブン。
そして永遠な存在であられる神様は、「人間の霊と永遠な愛を成すため」にすべてを創造されたことが明らかにされた・・・・
果たしてオヤビンとコブンは自分に霊があることを認められるのだろうか??!
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように(ヘブル人への手紙9章27節)
しかし人のうちには霊があり(ヨブ記32章8節)
ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。(伝道の書12章7節)
聖書って「天国と地獄」について書かれていますよね・・・・?
天国はいいけど、地獄って聞くとどうしても受け入れたくない感じがして・・怖いなあって。
正直、天国も地獄も興味ないし、
人生こんな大変な思いをして生きるのに、死んだ後まで辛い現実があるんだったら、
神様人間を苦しめたいのか???とすら思いました。
どうして神様は人間を創造されたのか?どうして地上にキリストを送ったのか?また悪魔はなんで人間を堕落させたのか。
全部「霊」にかかわってくるんです。
しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。(創世記2章17節)
結局アダムとエバは善悪を知る木の実を食べて堕落してしまったけれども、本当に死んだのかな?
死んだんだっけ・・??
そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕された。(創世記3章23節)
・・・ん??てことは・・・
・・・間違いです!!!
いや!うそじゃない!ほんとにそうなんです!
でも、間違いは「たしかに死んだ」ということです。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない。(ヨハネの黙示録20章14節)
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように(ヘブル人への手紙9章27節)
「霊」のことですか!?
霊も死ぬの?
まず「死」という概念について整理してみよう!
じゃじゃん!!
存在していても、死んでいる・・・つまり
「機能を果たせない状態」を<死んでいる>と表現しました。
でも、なんで霊の機能を果たせなくなってしまったんですか?
見よ、すべての魂はわたしのものである。父の魂も子の魂もわたしのものである。罪を犯した魂(※)は必ず死ぬ。(エゼキエル18章4節)
※韓国語では魂が「霊魂」と訳されます。
それによって神様との関係が切れてしまったんです。
まるで、人間同士も互いに心が合わなくなると別れてしまうように、霊が死ぬと神様との関係が切れてしまうんです。
神様との関係が切れちゃったからなんですか??
これは、なぜキリストが来る必要があるのかと関係してくるよ^^
なんでキリストは来るの?
「御言葉を伝えること」だったんだ^^
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネ14章6節)
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。(ガラテヤ人への手紙5章22節)
捕捉
今回の話は非常にまとめるのが難解でした(^ー^;A
死後の話や霊の話って、中々デリケートな話だと思うのです。オカルトちっくなイメージ持たれてる方も多いだろうし、その存在事態否定される方も多いでしょうから。
疑問の多い話だと思います。私もそうでしたので、こういう形で紹介すべきか悩みました。
なので今回は「聖書を読むとき、霊の存在があることを前提に読まないと、全ての辻褄が合わないんだな。」ということを理解していただければ万々歳です。
聖書は旧約も新約も一貫しています。神様が何を目指して天地創造、人間創造をされたのか、是非神様目線に立って少しでも考える時間になれたら幸いです(*^^*)
いつも読んでくださって感謝します。
何かありましたらお問い合わせくださいm(_ _)m