人と人とがコミュニケーションを取る時、もっとも用いるものが「対話」です。
メールやLINEも増えてきましたが、やっぱり文字でのやりとりには限界がありますよね。
私も普段文字のやりとりをたくさんしますが、限界があるなあと感じています。
人の表情、声、しぐさ・・・
文字だけだと伝えたいことが、なかなか臨場感をもって伝えられません。
摂理で大切にしていることのひとつが「対話」です。
普段当たり前のように対話しているから、大切さがわからなくなります。
でも、摂理に来ると不思議と、何気ない、なんてことない些細なことの大切さに気づけるようになります。
私は摂理に来て、「対話」がとても神秘的だなと感じるようになりました。
どうして神秘的なのかというと、言葉と言葉を交わすことで、お互いのことを知って、情が湧き、愛しもするから、
すごいですよね。
逆に、対話をしないと相手のことが分からないし、対話して熱かった心も無口になるとしゅんと冷めてしまうし、お互いにぎくしゃくして誤解しちゃうこともあります。
だから対話しようと、先生が教えて下さいました。
先生が教えるのは、そこまでではありません。
神様と対話しよう。
対話は愛だ。聖三位も御言葉で
三位の胸の内を表す。三位があなたたちに「御言葉」を伝え、
そして、あなたたちは「祈る」ことで、
「対話」がなされるのだ。
対話、対話、対話。
私も朝から晩まで対話します。
あれこれそれこれ、思っていることを全部べらべら話します。
話しながら、ああ、またこんなこと話して、すみません、というときもあれば、
いや〜あれは最高でしたねえ!と興奮して話す時もあります。
最近は進路のことばっかり対話していて、いつも、耳にタコができますよね、すみません・・・と恐縮しながら
やっぱりそのことを話しています。
対話、対話、朝から晩まで・・・
でも、それが摂理で学んだ、愛の味でした。
対話したら、経緯になります。ああ、そういえばあそこでこんな対話をしたなあって。
神様との対話は祈ることでできます。でも先生はこうおっしゃいました。
祈りは目をつぶってだけするのではない。目を開けていても、常に、随時、いつでも「心と考え」でできる。
おお。そしたら目をつぶっちゃいけない場面でも、祈れるということですね!
麦わらさんは目を開けているとなかなか、雑多な考えがたくさん浮かんでくるので、まだ目を開けながら対話することに難しさを感じますが、そういう時は口を動かし、声に出します!(笑)
傍から見たらひとりごとですね^^;
でも、私はひとりで人生のあんな不安こんな不安を抱えることができないから、
神様にいつもしゃべっちゃいます。
そうしたとき、大変なときも今まで乗り越えられたから・・・本当に感謝します。
対話の大切さに気づかせてもらうなんて、なかなかないですよね。
生活の中でなんとなくやっている小さなことが、どれほど大切なのか・・・
それを摂理ではたくさん学べます。
真実な愛、真の幸せについて、
やっぱり神様が一番ご存知ですね^^