私にとって御言葉とはなんでしょう。
御言葉をはじめ聞いた時は、「いい話だな〜。なんか役に立ちそうだな」くらいにしか感じていませんでした。
そして実際多くの悩みを持っていた私にとってはとても役に立つ話でした。
人生どうしていい人が苦痛を受けるんだろう?
どうして嬉しいこと、楽しいことがあっても、心には喪失感が漂うのだろう?
そんな風に感じていた私にとって、御言葉はすべての疑問を解く答えでした。
人生をどのように生きるべきなのか?根本的に人間はどうして生まれて、どこに行くのか?
このような疑問に果たして答えがあるのだろうかと考えることもありました。
御言葉はいつも聖書が土台でした。
その聖書という本も、私にとっては謎に包まれていました。
ずっと神話のように思っていた聖書でしたが、実は「歴史書」です。
イスラエルの歴史書としてしっかりと残されているものです。
けれどもそこにはいつも神様が存在し、また書き綴られている書物の歴史は旧約だけでも4000年分です。
4000年間生きれる人はいないのに、話は一貫しているからそれが不思議でした。
また、書かれていることは確かに「正しい」のでした。
ひねくれものの麦わらであっても、「そうであってほしい!」と良心が願う世界があります。
その良心が願う世界を神様も望んでいたのです。
神様はまるでひねくれてしまった人間の心を更生させるように、ひたすら愛で接しました。
もちろん「え、ここどうなのよ?」と疑問になる聖句はところどころ、いや、多く存在します。
でも実はそこにも意図があり、とても深い意味が隠されているのでした。
聖書は神様が人間を通して書かれた。
神様の書物なんだ。
それを聞いただけでも「ほおお〜」と驚いたし、あながちウソのようにも思えないのを
聖書を読むと感じます。決して人間の都合で書かれているものではないなと感じました。
だから私にとって御言葉ははじめ不思議なものでした。
御言葉は「神様の言葉」だから、ときどき自分の生活を言い当てられることもありました。
「やべ!」「ドキ!」みたいな。
それも次第に楽しくなりました。
あっという間に出勤時間ですね。
がんばって朝方書いてみましたが、ちょっと寝坊しちゃいました笑
今日も一日がんばりましょう!今日という一日がなぜ存在しているのかも考えながら、
人生を深く生きましょう!では〜