今日は2015年6月1日でした。
あっという間に夜になってしまいましたね。
私たちは毎日このようにして日々過ぎてゆくのを体験しています。
そして私たちの肉体は日々老いて、細胞が死んでいきます。
今私たちが生きている年齢がもっとも若い年齢です。
本当に今を生きるとき、「生きた考え」をして「生きた行い」をすることがどれほど大切でしょうか。人生は流れゆく川のごとく、大変でも辛くても悲しくても自暴自棄しても、通り過ぎるものは通りすぎてしまうのです。
私はまだ考えの中に、自分を落としめるような考えがふとした瞬間でてきます。とくに自分が思っていた以上のことができなかったときに出てくるのです。しかし、こうやってネガティブに考えていることで、貴重な時間が流れゆくのです。それはまるで神様がくださった大きな歴史を自分の小さな間違った考えで遅らせてしまうように、です。
神様にとって私がどれほど貴重でしょうか。摂理では「自分の価値」「時間の大切さ」「生きた考え、行い」についてはっきりしっかりと教えてくださいます。聞いたならば、それを受け入れて、行ってこそ実感できます。
最近スポーツをやって得た悟りがありますが、私たちは決して不利な状況ばかりではないということです。
不利の先にいつも有利があることを知らなければなりません。
たとえば、サッカーをしていて自分がボールを持っていたとします。目の前にディフェンスが立ちはだかりました。しかも2人。そのとき「状況が不利だ」と思って恐れてボールを適当な位置に蹴ってしまったら、それはとても惜しいことです。そういうとき、落ち着いて視野を広くしなればなりません。よく見たら、自分の前方や、横の位置に味方が来ていました。ボールは自分が持っているのだからそれだけでも有利なのです。さらに慌てずに周りを見てみたら、もっと有利な状況が目に入ってきます。
生きる中で不利に見えることがあるでしょうか。また自分に不利な考え方をすることがあるでしょうか。しかし前も横もよく見てみたら必ず有利があるはずです。不利があるなら有利があるのだということを悟りました。
今不利に見えることはみんな有利につながると思います。同じ状況でも不利な考えをするか、有利を生み出す考えをするかで、状況の見え方が一変します。サッカーを通してこのような悟りをくださったことに感謝します。流れゆく時間も、過ぎてしまった時間より、これからどう取り組むかで変わってきますから、残された時間は必ず素晴らしく喜びで行っていきましょう(*^_^*)