何か達成したい!
そう思うけれども、達成できないことって多いです。
今はインターネットで調べれば膨大な情報がありますし、わざわざ書店へ行って本を買わなくても、
YouTubeで動画配信していたり、ブログで情報が公開されていたりします。
でも、どんなにノウハウや言葉を聞いてみても、「実践」できなければ自分のものになりません。
ところで、どうして「実践」ができないのだろう?
これは多くの人の悩みだと思います。(麦わらさん「mee to!!」)
そこで、今回は実践できない理由を3つにまとめてみました^^
1、心から必要性を感じていないから
必要性を感じるとなんとしてもやってしまう麦わらさんです。それは私だけに限らずみんなそうだと思います。
例えばあるテストに受からないと、単位を落としてしまう場面になりました。しかもその単位を取らないと留年確定です。
絶対に勉強しますよね?
多分、諦めさえしなければ、きっと徹夜してでもテスト勉強すると思います。
でも、「単位を落としてしまう事実」を知らないまま、まあ今回も適当にやって、落としたとしてもなんとかなる
とか思っていたら、きっと勉強も適当にしますよね。結果単位を落として、しかもその単位を落とすことで留年確定する、なんて事実まで知っていたならば、絶対に勉強しますよね。でもそれを知らずに、必要に思わなければ、きっとやらないのではないのかなあって思います。
2、具体的に自分のものに落とし込めてないから
ノウハウや、こうしたらいい、と話を聞いても、
「じゃあ、生活の中でどうその話を落としこんでやろうか?」と計画しないといけないですよね!
でも、たいてい話を聞いた直後、その話を聞いたことでの満足感でいっぱいになります。なんとなくできたような気がしちゃったりします^^;
私は昔ブックオフで啓発本を買って読みましたが「感謝する体質にしたら、幸せが舞い込んでくる」という内容の本でした。
内容を読むと、こういう時にも感謝しよう。ああいう時にも感謝しよう。と事項に分かれて様々書いてあるのですが・・・
麦わらさん、偉い。ちゃんと実践しました。
友達と些細な会話をしたとしても、ちゃんと「ありがとう」を伝えるようにしました。相手を認めたり褒めたりすることが少しずつできるようになったんですよね。具体的に取り組むことをイメージしたときに、実践ができるようになったなと思いました。
3、心に届いていないから
これは最近思ったことなんですが・・・
目の前で「わたしは今本当に苦しい。だからあなたにどうしてもこうしてほしい!」と切実に訴えられたとします。
もし心に届いたら、その人の言うとおりにすると思います。
でも、その言葉が心に届いていなければ、同じようにその人に接すると思います。
「心情」が届くのか、そうでないのかで、実践が左右されてしまうのだなと感じるようになりました。
心情の威力はすごいなと思います。考え方まで変えさせ、行動まで起こさせる力が「心情」です。
でもそれが届くかどうかは、自分が心底相手の気持ちに立って考えようとするかどうかで変わってくるのかなあとも思いました。
御言葉と向き合うときもこれと似たようなことが当てはまると思いました。
御言葉は神様の知恵の結晶。行えば必ずそうなる!というお墨付きの言葉であるにも関わらず、御言葉を実践することは簡単ではありません。
聖書にこのような聖句があります。
「すると、天から聞こえたあの声が、再びわたしに語りかけて、こう言った。『さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ。』そこで天使のところへ行き、『その小さな巻物をください』と言った。すると、天使はわたしに言った。「受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。』わたしは、その小さい巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった。(黙示録10章8〜11抜粋)
巻物を食べた時、腹には苦いけど、口には蜜のように甘い、と書いてあります。
この巻物は「神様の言葉=御言葉」のことを挿しているのですが(参考:エゼキエル書3章3節)
その瞬間聞いたときには、甘い蜜のように感じるのですが、行ってみると苦い経験をたくさんします・・・。
それでも実践する必要性を感じ、その言葉を伝える人の心情が届いて、具体的に自分に落とし込んでみたら、
必ず何かしら実践できると思います。そしてそこから得るものが必ずあると思います!
甘い味、苦い味、不思議な味・・・
味も食べる実践をしたときに舌で感じるように、御言葉も「実践」してこそ味を感じるようになると、鄭明析先生は教えてくださいました。
私も様々な場面に適用させて、実践がんばります(゚∀゚)!