鄭明析先生のすごさは、どんなに辛くて大変で、誰からも分かってくれなくて、環境が過酷だとしても、
ただひたすら神様が願われていることに神経を注がれるその精神だ。
先生が約10年もの間、獄の中にいたとしても、私はその10年の歳月、最高にかっこよく生きる姿を見ました。
先生はひたすら、感謝しながら、神様が願うことが何かに神経を注ぎ、私たちみんなの命が生きることを願って祈り、自分の辛い環境には神経を断ち切って、ひたすら御言葉を書き続けられました。
私が摂理に来たのは、先生があの場所にいらっしゃる中でしたが、だからこそ声を大きくして先生のことを伝えたいと思いました。
あまりにも全うに生きられたのを感じるから、ちゃんと分かったら誰も何も言うことはできないのだと思います。
見ていなくてもそう思うくらいなんですね。
私が言葉で飾ることをしなくても、先生の姿を見たら、誰も何も言えない、そう思います。
直接見たことはないけれども、一日も絶えず御言葉を送ってくださる現実を見ました。
その御言葉で、どれほど生かされたか分かりません。
先生は人に何かを分かって貰いたいと、そのように思うこともしないで、
ただ神様がこの時代、私たちに何を話されたいのか。何をなさりたいのか、
それをどのようにしたら成して差し上げられるのか。
ひたすらこのことだから、御言葉をあんなにも毎日書き続けられました。
心を改めないといけない。
私は自分で自分にそう言い聞かせます。
そして誰もがきっと、その姿を見たら、心を改めるしかないだろうなと思います…