普段お祈りをしない方にとっては、お祈りで病気を治すことよりも、病院に行って治療することを最優先にします。
でもお祈りをしない方だとしても、大きな病気にかかったり、とても辛いとき、神様を呼び求めることもあります。
でも、「どうしてこんなことになったのか!神様がいるなら直して欲しい!」とか「一生懸命頑張ったのに神様はどうして自分をこんな目にあわせるのか!」とか、思う方も中にはいらっしゃるかもしれません。
逆に神様をよく信じて、よくお祈りする方は、「私はこんなに神様をよく信じてお祈りもするのだから、病気にならないだろう」
又は「病気になっても祈れば治してくれるだろう。こんなに神様のために信仰も守って働いているのだから」と思います。
でも、このように考える全ては、
神様を誤解している考えです。
先生は御言葉でこのように教えてくださいました。
先生も一時(いっとき)は数万回も祈っても病気を治してくださらないと言って、神様に告げた。3年間祈っても治らなくて、あとで悟った。「神様に、聖霊に祈っても、それで病気を治してくださることはしない」と思った。このことを神様に告げたら、神様は「今、悟ったのか」とおっしゃった。
そして「人々は漠然と『私は病気にかからないだろう』と思って、祈ってばかりいる。そうしていて死ぬこともある。
すでに病気を治す方法は、それまで数百回も話してあげた。自分が100%健康管理をし、運動しながら定期的に健康診断を受け、手術すべきところは手術をし、薬を飲むべきところは薬を飲み、長期間治療すべきところは食べ物でも管理をして治療をするものだ」とおっしゃった。
神様も「医学」を通して治療してくださるから易しい。だから漠然と「神様をよく信じるから病気にかからないだろう。いつも病気について祈っているから、治してくださるだろう」と言うな。
自分が癌(がん)になっていても、神様は「あなた、癌だ」とおっしゃらない。それまで神様は遣わした人を通していつも健康診断も受け、具合が悪い人たちは病院に行って医学的にも治療するようにとおっしゃったからだ。
今は2000年前とは異なる時代。
医学が発達した時代です。
2000年前、イエス様を通して様々な病気を治す奇跡としるしを見せてくださいました。
目が見えない人が見えるようになったり、足が歩けない人が、歩けるようになったり、当時はもう病気は汚れのように思われていたから、治療法もなく、苦しんで生きる方々が大勢いました。
その時、イエス様が癒やしの能力で、本当に癒やしたりもされました。
神様は病人たちを見て、医学で治す。医学の手が届かないところは神様が「奇跡」を施す場合もある。
医学の手が届かないところは、
そのように神様が奇跡を見せることをされたのです。
でも何でもかんでもそのような奇跡で治すことはなさいませんでした。
聖書を読んでみると、ベテスダの池の水が動いたあと一番先に入る人は病気が治ると言った。
だからみんな痛む体を引きずって苦労しながらそこまでのぼってきた。医学で治療したなら、ほとんどみんな治っただろう。
神様がある目的を持って、目立つようにやってくださったことなのに、ずっとそうなると錯覚するな。
目的を持ってなさったことだとおっしゃいました。
もしこの時代のような信仰によって治療される方法がまかり通るならば、時代ごとに神様がこんなに医療を発達させる理由がありません。
<医学>も絶対に神様が人を通して行なわれる「神様の癒しの方法」だ。
神様は「医学の使命者たち」に働きかけて、全世界の病院も運営なさる。だから人を通して働きかけるから易しい。
先生がこのように教えてくださって、神様に対する誤解が解かれるようになりました。
母が教えてくれたのですが、最近パーキンソン病の新しい治療法の兆しが見えたそうです。
父がその初期状態にあるのですが、パーキンソン病は治療法がないと言われていた病気で、進行するのをただ見ているしかありませんでした。
(パーキンソン病とは、だんだんと体が動かなくなる病気です)
これを通しても、神様が医療を通して治すことができるように助けてくださっているのを強く感じました。
それと同時に、神様は、やはり「愛の神様だ」と悟るようになったのでした。
天への誤解を解けるようにしてくださることに本当に感謝します。
必ず神様と人間とのわだかまりが解かれるように、心から祈ります。