まんが・イラスト

新約聖書を読みながら「今」を備える。


最近、新約聖書を地道に読み進めているのですが、
読むと学ぶことがとてもたくさんあります。

当時、御子がイエス様の肉体を通して初臨なさいました。

だからイエス様を信じて従う弟子たちや、群衆たちは、イエス様のことを様々に解釈していました。

「この人は預言者かもしれない」

「エリヤかもしれない」

「神の子キリストかもしれない」

そして、病人たちや、近くに病気をして死にそうな人がいると、イエス様を大声で叫んで、とっても切実に癒やしてもらえることを願いました。

イエス様はいろんな病気を持っている人たちに対して、癒やしを施されるとき、いつも決まった言葉で締めくくっています。

「あなたの信仰通りになるように」

「あなたの信仰があなたを救った」

絶対にイエス様の言葉通りになる!必ずイエス様が癒やしてくださる!
そのような信仰を持った人たちが、病気を癒される大きなキセキを体験するようになりました。
イエス様には全能なる御子が霊で臨んでいたから、そのような神のような奇跡としるしが起こったのです。

もし今この時、御子が肉体を着て現れたとしたら、
私たちはどのようにしてその方に接するでしょうか。

私は考えました。当時のイエス様を信じて慕っていた異邦人ほどにも、そのような信仰を持って接することができるだろうか。
新約聖書でイエス様を信じて生きていた人たちほどにも、切実な心で接することはできるだろうか。
それは「今」どのように考えて生きるのかで、変わってきてしまうのではないかな、と思うようになったのです。

最近新約聖書を読むと、なんだか胸にぐっときちゃうのですね・・・。
私も、今考えを正さなければいけない時を迎えているなと感じています。

「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである」(黙示録22章12〜14節)

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]