信仰のもがき

摂理をやめる・やめないという選択


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摂理をやめようか、やめまいか考えたことはありますか?

私は「出ていこう!」と考えたことがあります!

当時はまだ御言葉を聞いて間もない時、とはいえ半年くらいは経っていた時でした。

「いつかここを離れよう」と思っていた時期がありました。

なぜ出ていこうと考えたのか?

麦わらさんの最大の悩みは、人に心を開けられないことです。それはむかし話シリーズにも前述した通りで、
中々自分を打ち明けることができないタイプだったのですよね。
だから今でも人に何か相談しようと思うと、「受け入れてくれるのだろうか??」と警戒することもあるし、
ドキドキすることもあります。最近も仕事のことでそばにいたアドバイザーに相談したことがあったのですが、
思ったような話にまでたどり着かず、すごくベーシックな話で終わってしまった時には、ひどく落胆しました(笑)

御言葉は素晴らしかったです。だから御言葉だけ全部聞いたら出ていこうと考えていました。
なんでこういう発想になったかというと、当時あまり麦わらさんはメンバーに心を開いていませんでした。
話はするし、信仰の話や証もすることもありましたが、完全にメンバーに対して信頼していたわけではありませんでした。
どこか、よそよそしさを感じていたのかもしれません。
(※自分の性格ゆえなので、当時関わってくださった皆さんには本当に感謝しています(T_T))

しかし、神様は分かっていたみたいです。

「麦わら、このままだと御言葉だけ聞いて、やめてしまう」

その時、神様は私のために用意されていたイベントがあったのです。

合宿でやめない決心をする!?

私のために用意されていたイベント、それは「合宿」でした。

しかし、合宿に行ってもしばらくは相変わらず心を開いていませんでした。私は根強い偏見もちでしたので、
御言葉はすごいけれども宗教に携わっている自分、宗教の人たちと関わっている自分が、ちょっと認めきれていませんでした。
それにあまり心も開けないし、ちょっと息苦しさも感じていたのですね。
唯一の相談相手だった日記帳から神様にシフトしただけでも大きいし、人生の問題は御言葉で確かに解かれる!
ならばもう御言葉だけ全部聞いたら出て行って、自分の成したかった夢を成しに行こうではないか!そう思っていました。

そう思っていた矢先、合宿でメンバーの方と深く話す機会がありました。とくに話したその人は、見た目も少しキパっとされていて、キャリアウーマンのような方でした。それで、もっと麦わらさんは警戒しました。(根っからのビビリでしたから)
でも、話してみると、意外でした。優しかったからでしょうか?そうではありません。厳しかったら?そしたらイメージしたのと変わりません。私がとくに意外だと感じたのは

<真実>だったから。

その人は昔はとてもやんちゃな、というよりもちょっと怖い部類に入るような、人が見てちょっと避けたいような外見だったみたいで(今はキャリアウーマンみたいにかっちょいいです)恐れられていたみたいです。だから、その人もあまり人に心を開けるタイプではありませんでした。でも、だからこそその方は御言葉を聞いてとても感動したそうです。そして御言葉を聞いてここまで変化したことを話してくださいました。麦わらさん、その人の話にと〜っても心を開きました。合宿の時に一番印象に残った話でした。

その時思ったのはこうでした。

御言葉を聞いている人は、努力している人だ。
みんな人生にもがいてきた人だ。
だから、こんなにも輝いているんだ。

メンバーひとりひとりの見え方が変わりました。私はみんなを誤解していました。よそよそしい表面的な部分ばかりが見えて、深いことも話せない関係ならば、あまりいても居心地悪いなという感覚だったのですが、そもそもメンバーのことを知ろうともしませんでした。でも、それから麦わらさんはメンバーのここに来るまでの経緯をなるべく聞いてみることにしたのです。同年代の子も、年上の方も、一体どうして御言葉を聞き始めたのだろう?

聞いてみると、みんな本当に深い悩みがありました。また、御言葉にすごく驚いて考えを変えた方もいました。
悩みの中には、ずっと私が辛く抱えてきた問題と似ているものもありました。

渡しの場合はこうです。理不尽な世の中、精神的な病気と共にあまりにも酷い事件が多発する社会。人に心を開けずにいる人々。テレビの奥に戦争がうつっているのに、異常とも思わずのんびりテレビを見ている人々。災害動画に対してyou tubeやニコニコ動画に寄せられる正常とは思えないコメントの数々。人々はどこか狂ってしまったのではないか?そう疑問に思いながらも自分の中にある黒いドロドロとしたものとも戦う毎日。

摂理にいるメンバーたちの中には、気づいた方がたくさんいました。
ちゃんと考えている人でした。大学の友達、高校の友達、そこまで考えている人がいませんでした。だから話を共有できる人もいなかったし、深い悩みを打ち明けられる人もいませんでした。・・・でも、ここにはいる!

それで摂理をやめないことを決心しました。

やめる・やめないを考えるということは、何かの狭間で悩んでいることです。
御言葉がわからないからか、メンバーに心を開けないか、何かしらの理由で悩んでいるからだと思います。

御言葉がもしわからなければ、続けて聞いてみてください。絶対にわかるようになります!
私もわからない時、受け入れない時には考えました。でも祈ると不思議とその答えがあっちから、
またはこっちからといろいろな状況で返ってきます!

もしメンバーに心が開けないならば、対話してみてください。話すのが一番です!
摂理では今年の夏、「和睦」の御言葉が出ました。みんな心に思っていたこと、対話しなさいと、神様が背中を押してくださいました。

ちなみに、メンバーの方はご存知の通り、摂理をやめる・やめないについて誰かに強要されることはありません(^^)自分の自由意志です。私もそれで、自由にやめよかどうしよかと悩めました(笑)

<問題があるなら、答えがある>神様と出会って、御言葉と出会って実感したことのひとつです。
大変な時にも様々に働きかけてくださった神様に感謝します(^^)

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ABOUT ME
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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]