私が聖書を学び始めた時に聞いたバイブルスタディーは「ペテロと魚」でした。
ところでペテロってどんな人 ?
(  ̄_ ̄)
というところから始まりましたが、
この方が聖ペテロですが、ペテロはもともと漁師でした。漁師といえば、海の熱い男というイメージですが、ペテロはイエス様と出会う前、夜な夜な海で魚を探し求めていました。
私も主と出会う前、夜な夜な人生の道を探し求めていました。ペテロは結局魚が釣れなくて、
もんもんとした状態で戻ってきたのですが、そんな時イエス様がペテロの前に現れました。
「あなたの舟を貸してくれないか」
さて、この状況であなたは
舟を貸しますか?
貸しませんか?
ペテロは夜な夜な海へ出て魚を求めたけれども、一匹も魚が見つかりませんでした。考えただけでもため息が聞こえてきます。
もしくは「くそっ何で魚が一匹も釣れないんだ!」とイラっちょモードだったかもしれません。私も探し求めてさまよっていたときは、イラっちょモードで日記にブワァ~っと書き散らしていましたからペテロも書き散らしたい気持ちがあったと思います。それにペテロは奥さんと子供もいるから、魚がとれなくて家に帰りずらく、焦燥感にかられていたかもしれませんね。
私も仕事がうまくいかないと、あーなんだかなぁ今日は(´-д-)
と、(´-д-)な顔をしてしまいます。
そんなときイエス様が「あなたの舟を貸してくれないか」と言って、「どうぞどうぞ」と気軽に簡単に貸せるでしょうか?
ここがペテロのすごいところなのです。
ペテロは舟を貸してあげました。
漁師にとって舟は宝です。相手は見ず知らずの人なのに、自分の憤り、自分の不満、自己中心的な悩みよりも、困っている人がいる。助けてあげよう。実際にそう思っていたかは分かりませんが、「貸し」ている事実があることから相手を優先させた心理が読み取れると思います。
ペテロは心が善良な人でした。
イエス様は当然その心をご覧になりました。そして御言葉のあと、イエス様はペテロに言いました。
「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」
…Σ(´Д`)!?
ここ、驚きのポイントです。
なぜならペテロは昨晩一日中漁をしても魚が一匹もとれなかったのです。
案の定ペテロは
「先生、私たちは夜通し働きましたが、何もとれませんでした。」
と言いました。
しかしここもペテロのすごいところ。
「(続き)しかしお言葉ですから、網をおろしてみましょう」
これがペテロの従順さです(;д;)
結局
網が破れるほどのおびただしい魚をとりました。
自分の考えを捨てて
イエス様の言葉に従順したとき
そのようなしるしが起きました。
自分の考えを捨てること、とても難しいですよね。御言葉は「神様の考え」ですから、自分の考えをおろさなければなりません。しかし、おろして従順したときに、いつも神様は各自にしるしを見せてくださいます。
ペテロはしがない漁師でしたが、結局イエス様の言う所の
「人間をとる漁師になるだろう」
(ルカ5:10)
となって、キリスト教の基を建てる大きな人物となりました。
実はこのバイブルスタディーの核心はまったく違うところにあります(笑)
今回はペテロと魚の話を聞いて、ペテロについてこんなにも親しく知れて、ペテロ 一人からでも学べることが多くあるのだなぁと、受けた感動をそのままお伝えしました。
聖書は深く読めば読むほど、神様の深い真理を知ることができます。
鄭明析(チョンミョンソク)先生は、2000読以上も読まれ、御子から深く聖書を学ばれました。
だから子供から大人まで納得し、つじつまが合います。
聖書に対する認識の誤解が日本人ならばなにかしらあると思いますが、どの分野も学んでこそよく理解できるように、聖書も学んでこそ2000年間読み継がれた意味が分かります。
学べるようにしてくださった神様に
心から感謝します。