金曜日の夜、帰宅しながら、いろんな人を見ました。
ダンスの練習をする若い男性
街を歩くカップルたち
パブから出てくる男性と店員さんが、挨拶して別れるところ
耳にイヤホンをしながら歩くサラリーマン
ベンチでたくさん買い物した袋を眺めているおばあちゃん
公園でお酒を飲みながらおしゃべりする人
金曜の夜だからか、ふっと心を緩めて過ごす人々。
そんな光景を見ながら、
人々は何か、拠り所を探しているのだなあ、と思いました。
私も拠り所を求めて探していました。
それは本屋さんだったり、大好きな友人だったり、一人になれるスペースだったり・・・
でも根本的に求めていたのは、
「自分を分かってくれる人、慰めてくれる人」
どんなに仕事をバリバリこなしたとしても、
どんなに上手く人生を生きていたとしても、
私たちはだれでも心の拠り所を探しているんじゃないかなって思う。
それが恋人だったり、好きなコトだったり、友人だったり、パブのお姉さんだったり、
物質だったり、仕事だったり・・・
それぞれみんな違うけれども、心の根本では、
何か満たされたい、という思いがある。
そんなことを考えながら、
「そうだ、自分もそうだった」と思い出しました。
私はあまりにも過去を忘れているんだなと思いました。。
心の拠り所を求めて、あれこれもがいた毎日。
自分をわかってくれる人は誰もいないのかなあと、思い悩んだ毎日。
家族と過ごしても、好きなことをしても、友人と遊んでいても、満たされなかった毎日。
あの毎日が、いつの間にか遠くなっていました。
でも、このとき感じた心を完全に忘れてしまっていいのかな。
向き合ってきたから解けた問題がありがたいし、
世の中で起こる様々な事件事故、向き合うからこそもっと深く考え、解くためにもがきます。
向き合って感じてきたこと、一緒に共感してあげられるし、助けてあげられることもあると思います。
先生が「とっても虚しさを感じて生きてきた」
その経緯を聞いて、
私はとても共感したのを覚えています。
拠り所、なぐさめ、分かってくれる人、
探しているすべての人たちのことを、神様は全部ご存知だ。