日常

私はもうすぐ20代が終わる。


ほんとうは書くつもりはなかったのですが、
久しぶりに書きます。

最近めっきり自分のことをブログに書きたいと
思わなくなってしまった。

説明するのが少々面倒に思うくらい
いろんなことがあったからだ。

言葉や文章にするのも、まとまらないだろうし
読む人もこれをすべて読むことはできないだろうから
今はただ、やるべきことをせっせとやろうという気持ちが大きい。

けれども…
せっかくの20代最後になるから、せめて記録として残しておこう。

私はもうすぐ20代が終わる。

つい5ヶ月前まではせっせと仕事をしていた。
営業だったので毎日2万歩近く歩いては、お客様先に行って案件をいただいた。

同じ繰り返しの中に、ちょっとした心のやりとりが心地よく
お客様と親しくなれると嬉しかった。

仕事の上司とぶつかることは多かったけれども
今ではちょっぴり懐かしい。

支えてくれた事務員さんたちも、今も親のように
私のことを覚えてくれているんじゃないかなって思うと、ちょっぴりホッとする。
実際きっと、覚えてくれているだろう…。
そのような方々と出会えたことが、ありがたいことだ。

ちょうど私が退職した頃から、コロナがどんどん広がり始めた。

教会も行けなくなり、自宅に引きこもることが増えた。
ほとんど家から出ない毎日。

目指そうとしている保育士の勉強をしながら、
私がやれることといったら
ひたすら「オヤビンとコブン」という作品制作だ。

私はこの作品にまつわる経緯を、どう表現していいかわからない。

神様がどうしてこんなにも面白おかしく
ありとあらゆる「しるし」を見せてくれたのか
最近は、もっとあからさまにひしひしと感じるからだ。

「たくさん恵みをくださったのは
悟らせるためだ」という御言葉が出たのは、今日の朝のこと。

本当に
アーメンと身震いするしかない
御言葉だ。

 

 

私の最近の一日の活動はこんな感じだ。


朝:保育士の勉強・復習

昼以降:運動(散歩)の時間などをいれつつ、
オヤビンとコブンに関するありとあらゆることをする。

夜:次回作の脚本をつくる。そして寝る前に保育士の復習をして就寝。

 

失業保険をいただきながら、このような生活をもう、
5ヶ月くらいしている。

家には、認知症とパーキンソン病を抱えた父と、妊娠中の姉がいるため
安易に外に出歩き遊ぶこともできない。
就職活動も、コロナが落ち着くまではしばらく、控えようと思っている。

20代の終わり…
コロナという特殊な環境下におかれた私は、お金も使うことなく
ひたすらこのような毎日を送っている。

幸い、コロナという状況下だからこそありがたい出来事もあった。

失業保険をもらうためにしなければならない就職活動の日数が1日だけで良くなったこと。
また、最近は、失業保険をもらう期間が「延長」される可能性も出てきた…

それはもう、経済活動をしていない私としては本当にありがたいことで…
お金=時間と比例するからこそ、
お金の貴さを感じている。

そして同時にまた、
神妙な面持ちにもなる。

なぜ今こんなに時間が与えられているのか…。

正直私がやれることはこの作品を書くことだけだ。
保育士の勉強は将来の自分への投資だけれども、

この作品はそもそも天と私の間で「挑戦」という約束を交わして
はじめた小さな実践だったのですが…
今はこの小さな実践が「大半」を占めるしかない、そういう流れができてしまった…。

しかし、当たり前の毎日ではないということもわかるから、
時々緩みそうになる心をピシリと叩いて、やることをホワイトボードに書き出して
目標を掲げて実践している。

「今しかない」

いつもそう思うようにしている。
実際そうだから…。

”時”という言葉が身に沁みてやまない。

 

 

この記事はただ自分のために書いている。
誰に話そうという文章ではなく、自分の気持ちを整理し、
また20代最後のひとときを過ごす自分の記録として書いている。

なんて表現したらいいだろう…

 

「神様、私は幸せです。

それは嘘ではないです。本当に。

幸せなのです。」

こういう表現をしたら
ピッタリと当てはまるのだけど…

違う表現をしたら
どうなるかな…

 

そうだな…

 

「緊張」

 

…いや

 

「慎む」かな…。

 

 

与えられた時間も、何もやることがなければ本当に退屈だ。

私の父を見ていていつも思う。
寝るか、テレビを見るか、近くの散歩に行くか、食べるか…

コロナが少し落ち着いて、リハビリや図書館に行くようになって
ちょっと(私が)ほっとしているけれども…

いつもずっと父の相手はできないからこその、葛藤もあり
父もいつも何かをしようという気力があるわけではないから
何を話しても響かない父に、つい私が無気力になりそうな時もある。

しかし、そうだとしても私にはやるべきことがあるから、
幸せだろう。

それも、たくさん神様が見せてくださった
「行いなさい」というメッセージがあるから
私は本当に幸せ者だと思う。

 

まとまらないな…。

 

特殊な期間を過ごしている私は
未来の私になんて話してあげようか。

そうだな…

「こんなに素晴らしい時間を与えられているのは。
きっと今の私だけだろうね。未来の私は、ひょっとして
今の私を羨ましく思ってる?」

なんて返ってくるだろう…

「ふふ、そんなことないよ。今の私の方が幸せよ。
あなた、まだ過程の中にいるじゃない?不安もあるでしょう?
もどかしくもなるでしょう?でも、もう私は神様がどうしてあれだけのものを
見せてくださったのか、あなたよりもわかるから、私の方が幸せ」

そうなったらいいな、という言葉を選んでみたよ…笑

 


20代最後の私、もうすぐあなたは30歳になるね。
30歳に見合うだけのことを、これからどのくらいできるだろうか…。
それも心配だけれども、大丈夫、きっと神様が導いてくださるよ。

だから今は一生懸命、やるべきことを行っていこう。
誰も知らなくてもいい。
理解の理の字もいらない。
関係ないものだから。

でも、神様はいつかきっと、
なにか見せてくださるんだと思う。

私が辛くて立ち上がれそうにない時、
虹を見せてくださったように。

今投資しているこの時間が、
いつか”なにか”になって、
未来を彩ることがあるのだと…

そう、信じています。神様。


だから最後まで心を込めて
描いていきます。

 

そしてなんだかんだ
作品をつくっているときが
最高に幸せなんだな…。

 

…こういう期間も

いつかは終わりが来るからこそ、

貴重なひとときだ。

 

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ABOUT ME
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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]