ここまで順調に教習所の課題を乗り越えてきましたが、
卒業検定、見事に落ちました(ノД`)
本当にこんなところで?!というところで
心が揺れてしまったからです。
今まで当たり前のように通っていた道。
曲がる必要があったので、車線を変更しました。そして選んだ道は合っていました。
でも、教官が何か私に指摘されました。それで緊張ぎみの麦わらさんは正確に聞き取れず、頭が混乱。
間違っている!?と思って急いで車線変更をしようとしました。
そのとき後ろの車が猛スピードで向かってきており、それに気付かなかった麦わらは、
教官に急ブレーキを踏まれてしまいました。
唖然。
なんでこんなところで、という失敗でした。
他は上手くいったのに、ここ、ここぞというところで・・・
ほんの瞬間で、「オワッタ」
心が揺れても
行いは揺れるな
今日聞いた箴言にありました。
<心>は揺れても<体>はどっしりと重心をとりなさい。
<体>が、考えが揺れるとおりにしなければいい。
グサッ
ほんとにこれです。
心が揺れても体がしっかり重心をとっていたら(車体も動かさず)今回のようなことには絶対に起こりませんでした。
緊張ゆえに、教官の言葉がよく分からず、とたんにハンドルを切ろうと体が動いてしまったんですね。。
でも緊張だけではありません。
<完全に分かっていなかった>ことも問題でした。
完全に「この道で合っている!」という確信さえあれば、教官が何を話していても、ひとまずはその道をキープできたはずです。。
ほんとに痛い失敗をしました。
心が、揺れる葦のようにぐらつきました。
このあと、箴言をもう一度全部読み直しました。
<葦>はよく揺れることはあっても、なかなか折れはしない。
風に揺れやすいけれども、また立ち上がる。
信仰が幼ければ「葦のような心、葦のような行ない、葦のような人生」になる。
このことを分かって、自分を治めなさい!
ある人は心が揺れすぎて結局諦める。
葦のように揺れても、絶対に諦めてはいけない。
諦めたら折れてしまう。これは葦のように揺れることより劣る。
揺れながらも「すべきこと」をすれば、「勝利者」だ。
人生は「目的」に向かって行く時、揺れながらも最後まで行けば、
「勝利」して得るようになる。
その時は揺れなくなる。
倒れないで、絶対に最後まで行って、完全に揺れないほどの心と信仰を持てるようにがんばります(*^_^*)
このようにして聖三位が御言葉で導いてくださることに、本当に感謝だなと思います。
不合格だからこそ、もっと考え方が弱くなるのかといったらそうではありません!
もっと考えを強くできる、大きな機会なのです。
もちろんオワッタと思った当初は、すごく葦のように揺れて辛かったのですが、お祈りしながら神様の考えをください!と求めたら、考え方が一変できるようにしてくださいました。
「勝利」する考え方でした。
結局不合格を通して、より完全さに至るようにしてくださっているのだ!
そういう考え方にしてくださいました。だから、中途半端に合格をいただくよりも、次は「よっしゃー!」と言って完全に合格してやりたいと思います!笑
困難艱難不合格、
どう捉えるか次第!