聖書をあまり知らない人でも「カインとアベル」なら知ってる!という方も多いのではないでしょうか(^_^)?
カインとアベルの話をザックリまとめますと
①エデンの園を追放されたアダムとエバは、子供を産みます。
兄がカインで、弟がアベルでした。
②アベルは羊飼いで、神様に羊の初子と肥えたるものを供え物として差し出しました。
カインは地の産物を差し出しましたが、神様に受け取られませんでした。
③カインは受け取られなかったことに、憤って、アベルに嫉妬しました。
④カインはその後アベルを野原に呼んで、アベルを殺してしまいました。
「カインとアベル」で問題となる部分がオヤビンも絶叫していた、<供え物>のシーンではないでしょうか・・・。
供え物ではなく心を見られる神様
私も聖書を学ぶ前は、
「どうして神様はカインの供え物を受け取らなかったんだろう?そりゃ怒るのでは」
と思いました。
でも、よくよく考えてみれば「供え物を受け取られない理由がある」ということを忘れていました。
聖書は淡々と書かれていることが多いので、なんとなくそのまま、さらりと読むと、
「神様って偏見があったのかな?」
「いじわるな神様なのかな?」
と思うかもしれません。
私もはじめて読んだ時は、なんで受け取られなかったのだろう?と心の中でいろいろに推測して考えました。
でも神様はそんなに単純な方ではないということを摂理に来て深く知るようになりました。
神様は肉で供えるものをそんなに嬉しがるでしょうか・・・?
人間であれば、もらったプレゼントの大小を見るかもしれません^^;
でも神様は供え物の大小を気にされる方ではありません。
サムエル記上16:7で神様は
「わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」
と話され、
テサロニケ人への第一の手紙2:4では
「わたしたちの心を見分ける神に喜ばれるように」とあるように、
神様は内側にある心を見られます。
また漫画でも紹介したヘブル人11章4節「信仰によってアベルはカインよりもまさった生け贄を神に捧げ、信仰によって義なる者を認められた」
の聖句や11章6節にある「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない」という聖句を見ると、
神様はやはり人間には分からない内側の部分を見て判断されるのだなとわかるようになります!!
信仰っていうと、突然漠然とするかもしれませんが、信仰とは「信じてあおぐこと」です。
人間同士でも、お互いに信じてあげたり、その人の言葉に聞き従ったりしますが神様を信じることもそうです。
神様を信じること、神様の言葉を聞いて信じること、必ず神様が共にしてくださると信じること。
これらのことが「信仰」です(^^)
アベルは神様を愛し、真心を込めて羊の初子と肥えたるものを捧げました。羊の初子を捧げる、その愛の心を神様は見て喜ばれたのです。
カインの性格・アベルの性格
カインとアベルの話を聞くと、カインは悪の象徴、アベルは善の象徴として読み取れることができます。
そして世の中を見てみると、少なからず「カイン」と「アベル」2つが存在していることが感じられます。
聖書を読むと、いつもカイン側とアベル側の戦いが繰り広げられています。
そしてカイン側はいつもアベル側を攻撃し、奪い、苦しめました。でも結局神様はアベル側が勝つように導かれました。
実は私達の心の中にも「カイン」と「アベル」が存在します。
鄭明析先生はおっしゃいました。
顔立ちより心が善良でいいほうがどれほど大きな祝福なのかを分かって、毎日作っていかなければなりません。
主は心が悪い人達を叱り、いつも悔い改めなさいとおっしゃいました。
心が優しく善良であってこそ、心の天国がなされ、悪ければ心の地獄になります。
私たちは天国と地獄が本当にあるのかはわからなくても、心の天国と心の地獄があることは知っています。
それは自分の心の状態を見た時に感じると思います。私もたっっくさん感じて、死にそうな時がありました(笑)
イエス様もおっしゃいました。
「この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。」(マタイによる福音書18:3~4)
「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。」(マルコによる福音書10:14)
子供のような性格でなければなりません。自分の心を子供のような心にしてこそ、普段からもぶつかり合うことなく、友愛と愛で平和に暮らせるようになります。(鄭明析先生の御言葉)
ちょうど家に甥っ子と姪っ子が遊びに来ているのですが、とても純粋で、嫌なことがあっても、またすぐにケロッとして、憎しみとか悪口とか無縁だなって思います。
食べたくていらっちょモードになって泣くことはありますが(笑)
だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。
互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。
これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。(コロサイ人への手紙3:12~14)
人類最大のアベルはキリスト世の中の悪をなくすということは、簡単にできることではありません。
皆さんの心の中の悪をなくすということは、それ程易しいことではありません。
それがなくなったなら天国でしょう。
皆さんの行動から悪を取り除くということは易しいことではありません。
神様はカインとアベルをわけて、カインの世界をなくすために、平和の王としてイエス様を送ってくださったのです。(鄭明析先生の御言葉)
私達の心の地獄、心の悪をなくすことは、本当に簡単ではないですよね・・・。
私も摂理に来てはや5年となりましたが、こういう話を聞いてなおせない自分に何度落胆しかけたでしょうか・・・^^;
でも、平和の王のようなキリスト、その方が伝える御言葉を聞くことを通して、自分の心をもっとより良く変えることができるということがわかるようになりました。
それに、こういう嫌な感情をなくすと、結局楽になるのは自分なんだなということがわかるようになりました。
人類最大のアベルはキリストです。
つまり、神様から見て、もーーーっとも良い人です^^
そいういう人になれたら、心の天国、人生ももっと嬉しく楽しく感謝で溢れます。わたしもそのような人を目指して、頑張らねばなりません〜〜!
カインとアベル編はこれにて〜!