麦わら日記

生まれた分、一生懸命生きなくちゃ、そう思えた理由


なんでこんな告白が出たのか…

生まれるまでには、本当に多くのことを神様が
助けてくださらなければ、今生まれておらず

今に至るには、生きている中で神様が
助けてくださらなければ、今生きていないから。

そうだ…
自分の命は、”今”だけ生きているのではない。
”過去”も生きていた…それだけだろうか?

”親の時”さらには”祖父母”の時にも神様
助けてくださり命を守ってくださらなければ
今の自分はいないのだ。

え、知っている話だって…?

…私は今悟ったんです。

 

自分が生きていること
そうだな、なんて表現したらいいか…

あまり声に出して自分の生の深さを語ったことがなかったからなのかな
そもそも私は、神様と出会うまで、そんなに自分の人生が
深い人生なんて、微塵も思わなかった。

今の私、神様に出会ってからという私も
ひとついつも離れない自分に対する思いがあった。

それは「劣等感」「過小評価」

たとえ大きな何かを見ても
深いことを考えても

「それが今の自分と何の意味があるのだろうか」

「たいしたこともできていないし、これまでもできなかった」

根深いこの考えはある意味で
「まあ、だからあまり期待せずやれるだけやろう」
という考えに至らせた…

それはそれで、自分をコントロールする上では、落ち着いた考えだった。

でも…そういうことではなかった
神様から自分の人生を見たら、30年はとうに通り越して
100年、はてまた200年、いや300…400…

それだけの先祖代々の人生を神様が助けて守ってくださらなければ
私は存在しない。
そして神様のことも知らずに生きて、なんとなく漠然と、辛い人生を生きただろう。
それなりに楽しく過ごしても、私は虚しい心から絶対に逃れることはできなかっただろう…

でも”今”、私は何をしているのか…

神様を愛して生きる信仰をもって生きている。
それは、私のひねて死んだ心が生き返った証拠だけれども
ただそれだけではなくて…

今生きてこのようにしていること自体が…
生まれてきたことが…
神様の前で見たら…
ものすごい深い経緯、ものすごい深い経緯…

私は目の前の良し悪しでしか物事を見れないけれども
神様はそうではない。
ものすごく遠い過去から、ずっと導いてくださった。

そう思うと、どれほど自分の人生は深い人生だろうか…

 

ここからは私自身へ…

 

あの景色を見た、その深さも
この話と通じないかな。

今生きていて、そしてそれを見た。
神様と共に見た景色は
どれほど深い意味が込められているだろうか…

 

生まれた日をたくさんの人にお祝いしてもらったことも
すごく嬉しく感謝で、恵み深かった…
そして今日、22日、御言葉を聞いて
その深さが、そうだな、10000mくらい掘り下げられたのかな。

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東京都民。カホンを叩いたりイラスト描いたりして過ごしています。セツリの味を多様にお伝えしています♪麦わらさん専用LINEも作ってみました。(友達追加が必要です)お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]