あとがき

いじめ加害者の背景と父親のセルフネグレクトに向けて(あとがき)

ミステリ編C、読んでくださって本当にありがとうございました。

これまでの物語の中で、もっとも描くのが難しいお話でした。
なぜなら加害者側の心理に焦点を当てたからです。

内容を読んでいかがだったでしょうか・・・?
正直言って、加害者に向かう神様の愛を描く事は、果たしてどう受け止められるのか、
私自身も悩みながら向き合いました。

しかし私が虐める側の話を書きたいと思った理由があります。
それが、御言葉を教えてくださるチョン・ミョンソク牧師(以下:先生)の姿勢だったんです。

愛する姿勢

先生は、多くの誤解を受け、投獄までされました。
ありもしない話がでっちあげられ、人々に善意で接する姿が、メディアによって歪められ、あっという間に犯罪者の姿に変えられてしまいました。

私は先生の投獄中に聖書を学びましたが、先生はいつも私たちにかかさず神様の愛を伝えてくださり、生活の困難を乗り越える知恵を教えて下さいました。

また、先生が獄中から出られたあとも、続けて神様の御言葉を伝えてくださっています。

先生は過去様々な誤解や悪口、悪評を受けたことについて胸を痛めながらも、いつも愛で許そうと努力し、祈っています。

また聖書を開きながら、いつも示して下さるのは神様の愛でした。

神様も過ちを犯した方に対してこのように話します。

「悔い改めて戻ってきなさい」

そして先生はおっしゃいます。

「対話して解こう」

私は衝撃を受けました。誰でも自分を悪く言い攻撃する人をゆるして、さらに対話して解こうと話せるでしょうか?

私だったら遠ざけ、好きにしろと思うか、もう顔も見たくないと思うか、許さないと思うと思います。

しかし先生は違いました。
私はその姿を見て、

ああ、被害者の立場を扱ったミステリ編Bで終わるのではなく、
虐めた加害者側、ナリヒサとミツキのこともちゃんと描こう、と思ったんです。

そして、私が受けた神様の深い愛を描いてみたいと思ったんです。

ナリヒサとミツキ 〜無知と悔い改め

ミステリ編Cのテーマは「無知と悔い改め」でした。

悔い改めという言葉は、とても簡単に話すと「反省」とか「改心」という感じです。
神様の前で反省して、もう一度やり直す…そんな響きでしょうか。

無知とは「知らない」こと。
これはそのまんまですが、無知という言葉はとても深く、まだまだ描くことがあるなと感じています。

今回は虐めていたナリヒサとミツキに焦点をあてて、テーマに軸を置いて描いてみました。

父親の心理〜セルフネグレクトと虐待

ナリヒサは具体的に家庭の問題を描いてみました。
特に今回はナリヒサ以上にお父さんに的を絞ってみました。

私は男性の心理、父親の心理というのがいまいち分からなくてですね汗 それはもう、いろいろと参考書を探しました。

そして心に響いたのが「父親のセルフネグレクトに関する」の本でした。

一家の大黒柱…お父さんという存在は、
「家庭のために働いてお金を稼ぐ」事がひとつの概念です。
(今はお父さんも主夫と呼ばれて家庭を支えることもありますから、あくまで一般的な概念ですね)

しかし仕事をしながら様々なストレスを受け、時には無条理に失業させられる事態に追いやられる方もいらっしゃいます。

ナリヒサの父親はその一人として描きました。

父親は「家庭のために働いてお金を稼ぐ」事ができなくなると、非常に強いストレスを受けます。特に、パートナーである妻に理解されず、不安と心配をぶつけられることもありますし、仕事が見つからない焦りや、役に立たないと家庭内から追いやられる方もいらっしゃるそうです。

また、子供も母親の影響を受けて、父親に冷たく反応を見せるようになると、さらに父親として居場所を失うことにもなります。

自分の価値を見失い、生きる気力もなくなった父親は、そのストレスを暴力や虐待という形で現れる…

これが現実にあるという事実を、本を通して衝撃的に知るようになりました。

謝るシーン

物語としては、唯一「反省」に至るシーンを描いたのが、父親の姿でした。

私がミステリ編Cにおいて、もっとも描きたいシーンはこのシーンだったんです。

④もピークでしたが、一番描きたいピークはこの謝るシーンでした…。

ナリヒサ自身が謝る姿は描かなかったのですが、
ナリヒサの父親が謝る姿を通して、彼の心に変化が起こるように…
ひとつの希望をそこに込めてみたのです…。

ミツキという存在

そして最後に解かなければならない存在が「ミツキ」でした。
ミツキは私の中でも、どう表現したらいいか分からない存在でした。
なぜミツキがそこまで心が歪んでしまったのか、私にも分からなかったからです。

作者も分からないというはどういうことか…と思われそうですね…苦笑
せめてナリヒサのように家庭環境をもう少し描いたら良かったのではないかとも思ったのですが…描きませんでした。

ミツキは、どちらかというと
「分からない存在」として描きたかったんです。

…現実は、分からないことばかりです。

”その人”がどうして犯罪を犯すようになったのか…その経緯、背景は他人ならなおさら、知ることはできません。本人と話さない限り知ることはできません。

オヤビンとコブンはミツキとほとんど接点のない「他人」でした。
だから他人の立場として知れる程度の情報しか、描きませんでした。

それでもなんとなくミツキが歪む情報として書いたのは、
彼は「優等生」であり、親の前では「優等生を演じていた」という事でした。
本心は、とても歪んでいたし、虐めという形で現れていたけれども、
周囲も家族も目をそむけました。
ミツキ自身から目をそむけてしまいました。

…彼のような子は本当にたくさんいるんじゃないかと思ったんです。

また描きすぎなかった理由をもう一つあげるなら…
描きすぎると、「加害者」という立場を忘れてしまいそうだからでした。
辛い背景を理由に、「仕方がない」という結末を作りたくなかったんです。

加害者は加害者です。
物語ではカキモトくんを虐め、自殺に追い込みました。
被害者の心情を思えば、それはどんな背景があったにしろ、罪は罪です。
だから罪は悔い改めなければいけない。それは変わらない真理です。
たとえどんな理由があったにせよ、悔い改めなければいけません。

でも、歪んでしまった心で、簡単に悔い改めることができるのか…
それはとても難しいことだと思います。

人は「自分が犯したことが罪だと知らな」ければ、反省することができません。
罪だと認識して初めて謝ることができるからです。

ミツキの場合、果たして自分がそこまで悪いことをしたとは思っていません。

②でミツキが罪を告白したのは、
恨みの元である親が苦しんでほしいから、という理由もありました。
だから真っ当な反省ではなかった…。

結局、物語上では
ナリヒサもミツキも最後まで悔い改めませんでした。
心を解くまでの過程を描いて終わりました。

しかしもう一つ描きたかったのは…
天の側はいつも代わりに罪を悔い改めている、ということです…。

代わりに悔い改める

天はいつも、過ちを犯した方に対して、すぐに裁くことはしません。…悔い改める機会を与えます。

今回天の姿として見せたかったのは…

少年が代わりに悔い改める姿…
またコブンが勇気を出して対話しようとミツキに行動を起こす姿…
オヤビンが真正面から向き合い、対話し、止めようとした姿…

天の側の姿として描きたかったのが、この姿でした。

先生はいつも、誰かが間違いを犯したら、自分が間違えたと思って天の前で悔い改めます。
私は最初それが理解できませんでした。

しかし、ナリヒサの父が代わりに悔い改める姿を通して、一つ大きく悟りました。

代わりに謝ることで、縛られた心を解くこともできるのだと…

 

色々書きましたね…^^;
でもミステリ編Cはそれほどにも、描きたい内容も多く、
葛藤も多く、深くて根深いテーマであったと感じています。

神様はその人が永遠に恐ろしい場所に行ってしまう直前まで、
助けようと手を伸ばし、最後まで働きかける方です。
その姿勢を、見て、教えてもらったからこそ、まずはその姿を伝えたかったのです。

自分自身がそうなるまでには、本当に難しいことだと感じています…。。。
自分は理不尽なことあると割りとすぐプンプンしちゃいますから…←

そんなこんなで最後まで描かせてくださったことに本当に感謝します。
自分一人では決して最後まで描けませんでしたが、神様が本当に共にされ、助けてくださったと感じています。

次回は…

 

すみません…

 

全くの未定です…笑

 

本当に未定です…笑

でも最後まで書きますから、安心してください…笑(あの、ざっくりはあるんですよざっくりは!!←

少し時間はかかりますが、オヤビンとコブン、引き続き楽しみにしてくださると嬉しいです^^

最後まで読んでくださってありがとうございました!

>>社会問題と向き合う漫画

オヤビンとコブンを描いてくれました!ほんまにありがとう!
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