摂理

摂理で聞かないスキャンダル?〜噂話とか嘘とか〜


摂理に約5年ほど通うようになりましたが、私はとても居心地良く過ごしています。
というのは、摂理でスキャンダルって聞かないからです。

スキャンダルという言葉自体、久しぶりに使いました^^;

スキャンダル【scandal】

1、名声を汚すような不祥事・不正事件。また、情事などのうわさ。醜聞。「―が発覚する」「政界―」

スキャンダルとは、「不祥事、不正事件、情事などのうわさ、醜聞」という悪い意味の言葉として使われます。
ほとんどの方がこういう話を聞くと、頭痛になるんじゃないかなあと思います^^;
誰だって好きじゃないですよね、こういう話。

でも、ニュースを見ていると、ありとあらゆる業界のスキャンダルがたくさん取り上げられます。
これくらいならいいや、と嘘に嘘を重ねて、真実が歪曲されてしまう。
土地にゴミを埋めて「ここはきれいな土地ですよ」と話してしまうような感じです。

聖書にこんな聖句があります。

偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。 23:28このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。(マタイによる福音書23章27〜28節)

パリサイ人たちにイエス様が語られた言葉です。
見た目は綺麗で豪華な格好をして、口ではいいことを話すとしても、内側は偽善と不法でいっぱいだと指摘されました。
人は騙すことができても、神様の前では騙せませんね^^;

摂理でもしスキャンダルがあったら、大事(おおごと)です。
神様の前で矛盾があることになりますから。神様について話、神様の御言葉を伝える摂理でそのようなことが起こったら、どこに希望を見いだすでしょうか・・・。

犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。(黙示録22章27節)

主を恐れるとは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪しき道と、偽りの言葉とを憎む。(箴言8章13節)

私も摂理に来てはじめてちゃんと聖書を一読するようになったのですが、聖書は悪に対しても、善に対しても徹底的に分別して書かれています。聖書ほど「悪はこうだ」「善はこうだ」と書かれている本はないと思います・・・。

小説や物語の場合、悪は悪の象徴としてキャラクターをつくって、その象徴となったキャラクターを通して、この人は悪い人だ、悪役だ、と思います。アンパンマンを例にすると、バイキンマンがそのような立場ですよね。
聖書は、悪役を象徴としたキャラクターをつくっていません。人間のそのままの姿を見せながら、読む人に「善とはこういう人で、悪とはこういう人だな」と、悟りを与えます。上に載せた聖句のように、ズバリこれが「悪」だ、とする部分が言葉として明確に表現されることもあります。

そういう文章は人間には書けないと思うんです。人間同士、お互いの感情をわかっているから、自分もそういう時あるから、仕方ないよね、と思います。だから、現代の小説を読むと、悪にも悪になった事情があるから仕方がないよね・・・と善悪がはっきりしない物語がたくさんあります。

ですが聖書は「神様の視点」で”善”と”悪”について書かれているからものすごい明確です。
ときにはグサッとくることもあると思うかもしれません(*_*)
でも、読んでみると、ほんとうに正しいんですよね。良心的に。たしかに、嫉妬心とか寂しさとか怒りとかなくなったらいいよな・・・と。誰でも嫌だなと感じる感情もしっかり言葉として表現されています。

逆に、世の中で「顔が、礼儀が、服装が」など、外見的の指摘(不細工とか能力が)といった内容に関して、神様は指摘されることはありません。イエス様が指摘されていた内容を見てみると、服装とか外見とかはほとんどありません。内側(心)の話が多いです。

もし摂理でスキャンダルがあったら、私だけでなく、多くの人が絶対に摂理に行こうと思わないと思います。
職場でも噂話や嫌な話があったら、やだな、辞めたいな、と思うのに、
お金を稼ぐわけでもなく行くことも強制されていない”摂理”でいやな噂話があったら、誰が行きたいと思うでしょうか・・・!!

一人ひとり時間は限られているのに、どうして悪い影響を受ける世界で時間を過ごす必要があるでしょうか・・・?

でも、摂理に来てこのような良心的な御言葉を聞いたとしても、
もともとの噂好き、嘘好きの性格をガラリと変えることは難しいです。

だから 『直そう!』

摂理に来て本当にいいと思ったのは、”直せる”ことです。

自分の中に悪いモヤモヤした考えが溜まっていると、自然と気持ちも落ち込むし、投げやりになるし、イライラしますよね。

それを直すことができたときの、成長!

本当にいいです。直すまでは確かに大変だし、一旦自分で悪いことを認めないといけないから辛いこともあります。

でも、スキャンダルみたいに、モヤモヤと煙のように悪いものが蔓延して、みんなが分かって大変な騒動になるよりも、

窓を開けてスッキリと転換してしまった方がもっともっといいと思うんですよね!

 

摂理はいつも御言葉によって空気が循環しています。息ができるから、苦しくありません。

だから居心地がいいんだなあって思っています^^

 

 

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]