信仰のもがき

自信がないのはなぜだろう?


Owlstalk / Pixabay

こんばんは、麦わらです。
台風は大丈夫でしょうか?

都内に住んでいる麦わらは、今夜がピークと聞いております。

さて、今日は「自信」について考えてみます。

私は自分に自信があるときと、そうでないときがあります。

あるときには自信満々で、
あるときには自信が消失。

一体どうしてでしょう?

ある面においては得意だから自信がある。
でもある面においては上手くできたこともないし、できなかったことが多い。だから自信がない。

得意か不得意か

いい経験があるか、苦しい経験があるか

それによって「自信」は左右されてしまうのだなあと感じます。

思い返してみると、はじめはだいたい自信がありません。
「これ、自分にできるのかな?」そういうところから始まります。
でも徐々に続けていく中で、「これならできるかも!」
そう感じる瞬間があります。

それは自分の中から生じることもあると思いますし、
誰かに背中を押されたり、良い言葉をかけてもらったときにそう感じることがあります。

あとは、過去の経験から、自信を持ったり、持たなくなったりすることがあります。

私は割りと過去を根に持つタイプです笑

特に過去できなかったことに対する根は、どこまでもどこまでも残ってしまいます。
払拭したとしても、頭に残っていて、それが行おうとするブレーキを踏むようになります。
それで、「自信」がなくなります。

どうせだめだ。

やってもできない。

そういう連鎖になります。
過去のことを一番根に持ってしまうのですね。

でも、大事なのは「現在」だと、先生は教えて下さいます。
今やるか、やらないかで、将来の運命が変わるとおっしゃいました。
大事なのは過去ではなく、「現在」

先生はいつも、自信が持てなかったとおっしゃいました。

他の人たちのようにしっかり学ぶこともできず、
優れたところは一つもない。

それでも、御子を愛していたから、御子をあまりにも愛して
先生は御子を慰めて差し上げたいと思った。

私のような取るに足りない人が
何をして差し上げられるのかと愚痴をこぼした時もあったけれども、

先生は御子が願うことを少しでもして差し上げたくて
行うことを絶対に諦めなかった。

そのように話されました。

自信というのは、不思議なことに、
何か一生懸命に取り組んでいるその時は、
自信がないとかなんとかと話すことはありません。

一生懸命に行うときには、力があるし、
行ったことは何かを生み出します。

でも自信がなくなるのは、結果ばかりを考えてしまったり、
できないという心で行うから、意識してしまい、行う力もなくなるのかな
と思います。

先生は本当に何も持っていませんでしたが、神様を深く愛するがゆえに、
もがいていた多くの問題を飛び越えるようになりました。

私も自信を飛び越えるほどの気持ちで、前進していきたいです。

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]