摂理

中心に立って感じる「難しさ」とそれ以上の「喜び」


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今日も一日聖殿にてレビ人化していた麦わらです。

あっという間にクリスマスも終わりました。

もう年末年始の忘年会シーズンですね・・・!

先ほどつくった映像の振り返りを母としていたのですが、本当に前回の時と比べてずっと次元が上がったなと思いました。
それに演技が本当にうまくなっていたし、編集技術もとても良くなりました。

前回と同じメンバーでやったのもあって、みんなの成長を見れるのもとても恵み深かったです。

まさか私がこうやって中心になって映像制作を回すようになるとは夢にも思いませんでした。
昔からそういう舞台や物語の世界をつくるのは好きでしたが、まさかこういう形で制作するなんて、棚から牡丹餅の気分です(←?)

こんなところで暴露するのも変ですが、私は結構目立ちたがり屋なんです(笑)
でも積極的でない目立ちたがり屋ですね。心の中では「いいな、やりたいな」と思っているのに、自分から手を上げず、
「麦わらさんどう?」と言われて心では喜んで!と思っているのに「え?私??いいの~?」なんて言っちゃうタイプです(笑)
隠れ目立ちたがり屋なので、演技しながらも、ちょっと目立ちたい人です。主役はやりたくないけれども脇役のいいところは持っていきたくなる感じです。
そんな私はどちらかというと中心に回るタイプではなく、ひそかにいいとこどりをしたく名わき役を狙いたいところなのですが、
それどころではない、監督側に回るようになりました。

やりながら学ぶことはとても多かったです。
何よりも、自分のことばかりを考えてられないあたりが、とても鍛えられました。
役者であれば、その役に集中することが求められますが、監督は全体を見なければなりません。
それぞれのスケジュール調整、脚本、動画編集、コマ割りやカメラワークまで、見ることがたくさんありました。
これを普段の仕事をしながら同時進行するので、本当にものすごいことをやったなと思いました(笑)

でも、楽しかったのです。

時には、ああなんで私はこんなことをばたばた一人でやっているのだろうか!と思うこともありました。
でも、助けてくれるメンバーがいて、支えてくれました。

中心として動いて、一番感じたことは、
「みんなが楽しくやっている姿がうれしい」ということでした。

これって中心にいるからこそ感じることだなと思いました。
もし私が役者一つだけをやっていたら、私自身しか見えていなかったかもしれません。
でも全体を見ていると、誰かが立ち直ってうまくいくことも嬉しいし、
みんなが楽しく演技しているだけでも嬉しいです。
そうやって動画たちが集まって、一つに合わせるのが動画編集の役目ですが、
みんなのシーンがどれも尊いし、できあがった作品が宝物のようにキラキラして見えます。

これは一人で作ったのではできないことでした。
いち役者としても感じきれないことですし、いち編集者としてやったのでも感じられないかもしれません。
監督という全体を見渡す中心に立った時に、(たしかにとても大変なことも多かったですが)
その分喜びは倍増することを実感しました。

これは前回のハトの作品のときもそうでしたし、今回の作品のときもそうでした。

だからきっと、多くの人の前に立つ中心の方は、苦労が本当に多いと思いますが、
その分喜びも得るものも本当に多いのだなと思います。

映像一つで語りたいことが本当に多くあるのですが、今日はもう遅いのでここまでにします。
長々といつも読んでくださりありがとうございます。

摂理はいくつになってもやればやるぶん青春を感じるところだと、最後に念を押して寝る麦わらでした。

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]