Report

摂理人麦わら 恋愛について語る


自分の価値を下げてはいけない

test-mypaint

「恋愛」という言葉をもっとも意識したのは高校時代でした。

中学生のときも恋愛しているカップルたちをたくさん見てきましたが、「まだはやいなあ」と思っていました。しかし高校に入ると、まわりで恋愛していないほうが珍しく感じるほど、「あれ、つくんないとやばい?」という感覚になりました。

私の友人はほとんど恋愛をしていました。部活内で恋愛している人もいましたし、クラスで恋愛している人もいました。とても仲が良かった友達がいましたが、その子といつも部活帰りにマックに立ち寄るのが習慣でした(笑)マックは高校生の味方ですよね(^v^)

そしていつもマックでおしゃべりしていきつく先は、その子の彼氏についてのお悩み相談でした。私はその子の恋愛については本当によく聞きました(笑)

その子と話していると、いつも不安定な状態でした。熱烈に彼を愛している分、彼はどうなのだろうかと、いつも不安に思っているみたいでした。そして、彼が誰か他の女の子と話しているだけでも、気になってしまうみたいでした。

そういう話を週に4回くらいは聞いていたから私もだんだん恋愛のテクニックが身に付きそうでした(笑)そして冷静に「ああ、恋愛もなんだかんだ大変そうだな。(というか、疲れるなこれ)」と思ったのでした。

とはいえ私も人の恋愛の相談事ばかり聞いていたのではありません。

自分も片思いをすることもありました。その期間なんと3年(;´∀`)

自分よりも年上の人でしたが、社会人でした。とても良心的な人だった分「理不尽さ」に対する不平がものすごく多い人でした。話していても、仕事の愚痴と、人の噂話と、社会の理不尽さに対する不満ばかりでした。だから私も気分が悪くなってトイレに駆け込んだこともありました。しかし片思いしているときは、全部ひっくるめてだとしても「この人がいい!」と思ってしまうものですよね。

ところが、私がその話を高校の先生にしたところ、ものすごい一言が帰ってきました。

「自分の価値を下げちゃいけない。自分は自分。まずは自分を大切にしなさい」

私はこの一言ですべてのしがらみと悩みと情がふっとんでしまいました。ものすごい一言でした。この出来事があってから「自分は恋愛はまだいいや」と思うようになりました。

浅い愛と、深い愛

26 Sunrise Home to Beach 6July2013

恋愛の「先を」見ると、深いです。

しかし「目の前」だけをみると、浅いです。

人が恋愛をするとき、非常に浅い部分だけを見て判断します。外見、行動、言葉づかい、肩書きなどを見て、自分に優しいのかそうでないのかを見ます。お互いに心が触れ合うととても嬉しいし、喜びます。私もそうでした。

しかし、その先を考えると、もっと深い世界が見えてきます。

浅瀬から沖に出るように、先に進めばもっといろんなことを考えなければなりません。人生を一生共にするならば、お互いの嫌なところももっとたくさん見なければならないし、お互いの親族とも関係をもたなければなりません。そうなると愛の絆はもっと強くなければなりません。

そしてその先を見ると、お互いの老いる姿も見なければなりません。死も見なければなりません。だから、先を見るほど恋愛はもっと深いのです。

そこまで行ってこそ、本当の「愛」だと呼べるけれども、浅い関係、肉体だけの関係になるとそれは「愛」と呼べません。

摂理に来て、御言葉を聞くと、神様の深い愛について学びます。神様がどれほど人間を愛しているのか、それは137億年かけて宇宙地球万物を創造なさった目的が「人間」であることを知って度肝を抜くほどです。「私は愛の化身だ」とおっしゃるほど愛の塊でいらっしゃる神様。松の葉一本一本を顧みるように人間を愛する神様。まるで愛する子供が動くたびに目で追い、寝ている子供を穴が開くほど見つめる母親のように、命の生から死までを穴が開くほど愛して見守り、助ける神様です。

そんな神様の心を分かって差し上げると、さらに深い愛を知ることができます。その愛を知ってから恋愛をしてこそ、まことに深くて深い愛を成すことができると思います。

愛の深さを神様から学んで、まずは自分の心に愛を満たしていきたいですね(*´ω`*)

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう


ABOUT ME
アバター画像
麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]